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年度末、棚卸 [世捨て人]

年度末は棚卸がある、製造部門は機械を止めないので土日でも関係ない。現場は実数を確認し原票貼ったり配置図作ったり結構忙しい。私は立会人なので自分で検数はしない、だが会計士や監査役が来ないときには実数確認をする。自動倉庫の6階やタンク類は上に登ることもある。高所恐怖症だから手すりだけの細い階段は苦手で足がすくんでしまうこともある。現金や有価証券の棚卸をすることもある、経理時代は自分で数えたが今はそれをしてはいけない、あくまで立ち合い人だから。この棚卸が終わるといよいよ決算だなという気がしていた。原価計算や棚卸資産評価には棚卸がないと始まらない。固定資産も何年かに全件一度棚卸をやる、こっちは工場ごとに膨大な量あるから足が棒になる。棚卸は決算の基本事項ですから。
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マンションは資産?じゃない [世捨て人]

都心から離れた千葉ニュータウンにマンションを買って早くも10年以上が過ぎた。10年を過ぎると価値が下がるが投資向けではないので仕方ない。定年過ぎてもローンが残ってる、3ldkの80mちょっとの物件、千葉ニュータウンはここ数年で大規模なマンション数軒、戸建てが数百軒増えた、電車賃が高いからオススメではないという雑誌が多い中、それでもドンドン増える。しかも相当安い、戸建てなど駅から10分も歩けば40坪で3000万円台が結構ある、もちろん印西牧の原や日本医大前に行けばもっと安いが、本当に住むのならいい街だし、結構おすすめだ。値上げり資産としては考えないほうがいいが。
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遅い雪 [詩(うた)]

三年ほど前は春の雪が降った、昔にもよく桜に雪の日を見た南岸低気圧と寒気のコラボが春の雪の正体だが、その微妙なところで雨になるか雪になるかが決まる。低気圧の発達の度合い、通る位置、上空の寒気は零度の線の位置、それが全て揃うと雪になる。これが太平洋側の大雪パターン、関東だけでなく九州も同じことが言える。だいたいが粉雪ではなく牡丹雪でバサバサと最初に降って後から細かくなる。
白い雪が全てを閉ざす
昨日の過ちも遠い過去も
都会の熱情を凍らせ孤独な絶望を隠して
鉛色の空から降ってくる雪は
異世界からの免罪符
俺は明日から生きていける
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大切なものは友達だな [思い出]

友達は少ない、部活の友達とも最近連絡を取っていないから高校より前の友人はほとんどいない。大学の友人も数えるほどしか連絡を取っていない。風の便りに聞くのは何かを成し遂げたかあるいは亡くなってしまったか。高校も大学も楽しかった、ちょっとした悪さもしたし恋もした。思い出というものは役に立たない、腹の足しにもならないしお金にもならない、だけどときどき引っ張り出して胸いっぱいに吸い込んでやれば時を忘れさせてくれる。
大切なものは友達だな、沼袋の安下宿で一晩中酒を食らったあのころは、グランド坂下の焼き鳥屋で空き徳利を並べたあの頃も。


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ADHDをともに [思い出]

は小さなころに自分のことしか考えないわがままな子だと先生に叱られていた。じっとしていられなくてみんなの邪魔をしたり、授業では手を上げる前に質問の答えを言っていた。宿題を忘れたり教科書を忘れたりそんなことがしょっちゅうだった。学校にたどり着けない日もあった、先輩に逆らったたわけでもないのに殴られたりした。それでも、遊んでくれる友達がいて学校へは通えた。中学校に入ると部活が楽しくて、自分も少しずつ抑えることを覚えて休みもなく通学できました。注意力不足や早とちりは相変わらずで、テストはケアレスミスが多くて苦手でした。そう僕はいわゆるADHDでした、そして今もあいつ(ADHD)は双極性障害Ⅱと一緒に時々顔をだします。でも聞いてください、そんな僕が大学を出て社会人になり曲がりなりにも普通のサラリーマンとして定年を迎えようとしています。参考例とは言えないかもしれないけれどこれくらいまでは成れると言うことです。発達障害を持つ人たちも親も悲観しないできっと何とかなる。
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故郷も春 [思い出]

故郷は九州で東北のように春を持つ気持ちが湧きたつ場所ではない。けれども、れんげの花が咲き、桜が咲けばもう田圃の周りの水路に水を通し、背負子を担いだ老人たちが蕨やゼンマイを取っている。夕餉前にちょっと田圃へ行って芹やクレソンを摘み、畑の周りでノビルを掘った。桃の畑はそれこそ桃色に染まり雑木林はかすかに萌黄色になる。子供たちは川へ行きシジミを採り小鮒を捕まえる。ごとごとと一両の気動車が揺れながら走っていく。たばこ畑の台地に土ぼこりが舞い上がる、清川村に春が来た。
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昨日もさくら今日も桜 [世捨て人]

どうして桜と言うとこの歌を皆思い出すのだろう、百人一首の紀友則の
久方の光のどけき春の日にしず心なく花の散るらむ
印象派の絵画的なところにイメージを膨らませやすいからかもしれない
同じ百人一首には紀貫之の
人はいさ心も知らず古里は花ぞ昔の香ににほひける
藤原公経の
花さそう嵐の庭の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり
壬生忠見のもろともに、などもあるのに、

私としては伊勢物語の
散ればこそいとど桜はめでたけれ浮世になにか久しかるべき
を思い出す。永遠なんてないんだ、だから消えていくからいいんだ
でもちゃんと来年にはまた咲くんだよ、桜はね。
だけど、人は消えたら何も残らないんだ。と
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花はやは [心象のスケッチ]

桜を愛でながら思うのはなぜこんなに艶やかに咲くものなのか。今は桜と言えばソメイヨシノだが、うた読みの心を動かし江戸の民を熱狂させたのはソメイヨシノではない。山の奥に咲く赤い葉と薄い桃色の山桜だったり、あるいは真っ白な大ぶりの花が咲く大島桜、小ぶりなピンクのエドヒガンなどだっただろう。いにしへの寧楽の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな(伊勢)の時代にもすでに八重桜があった、今のピンクの大ぶりな八重桜とは違うのではないかと思う。八重桜は品種ではなく総称なので掛け合わせなどで多くの種類があるようだ。造幣局の通り抜けが有名だが、故郷には烏帽子岳というところに800本のボタン桜があって一度行ったことがある、桜より派手な色合いで花も大きく見ごたえはある。だが、散る桜のあの風情は残念ながらない。その昔は花と言えば梅だったがいつのまにか桜になった、宮中も左近の梅、右近の橘だった、しかし梅は桜にとって代わられた、それもわかる気がする、しかし橘と香りを競い合うなら梅のままでよかったかもしれない。なににせよ桜というものは憎きものよ、人の心をやきもきさせて。
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温もりあげるから [詩(うた)]

世の中が浮かれているときにはじっと足元を見つめて
厳しく冷たい風に向かってはほほ笑んで目をあげている
俺の生きてきたやり方は変えられない
まるで心など誰にも見せないで
それでもやさしさは忘れない
この世が凍り付いたとしても
夜明けは必ずやってくるから俺のそばを離れずに
温もりをあげるから心を閉ざさずに
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口喝 [弱音]

糖尿病だからやたらのどが渇く、と言ってもA1Cがそんなに酷いわけではない。口喝する薬も飲んでいる、それが抗うつ剤アミノトリプチンだ。リチウムものどが渇くことがある、だからとにかく水を飲む、2.5~3リットルは飲んでいる。結石もあるので余計のめと言われるせいもあるが、水を大量に飲むと起こることがある、頻尿はあたりまえだからどうでもいいが、水を飲むともうすぐにトイレに行きたくなる、まるで既に体内で水が飽和状態のように押し出されてくる。次に多汗で手がびっしょりそしてパンパンになる。更にこのパンパン状態では血圧が上がる、水分たっぷりだから下がるのかと思いきや大量の水分を全身に送るためなのだろうか。そして、これがすごい、水分を減らさざるを得ないこと、手術などをすると一気に数キロ体重が落ちる。ということは減量数キロでは脂肪ではなく水が出たと言うことのよう、少し残念。
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