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塞翁が馬と思え [世捨て人]

3月31日、期末、年度末、いろいろあるけれど、なんだか落ち着かない。学生は新学期までまだ少し休みがある。社会人は明日から新入社員が入って来たりする、通年採用に軸足を移しつつあってもやってくる。会社員手どうなんだろう、随分長いことやってきた、二年ほどいない時期もあったが。来年はとうとう定年になる。山あり谷ありどんなんだと言うくらい。振り返っても仕方はないのだが、事故で高校留年、浪人、大学留年、会社で休職、順風と言うモノが嫌いだとばかりに各駅停車、紆余曲折、一体どうなっているんだ。でも、この失敗と言うかアクシデントと言うか、全ての原因は自分で選択しているから後悔もない。事故もその日バイクを乗らない手もあった(だがいつか事故で死んでいるだろう)、浪人もその年大学入試全滅したわけではない、(京都や熊本の大学に行ってたらどうだったか)、留年はあきらめて試験さえ受けなかった年がある(受けていたらどうだったか)、休職は自分で最終的に選んだ(継続していたら死んでいたかもしれない)、こんなんだけど今も生きている、塞翁が馬さ。
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消失 [詩(うた)]

さびしいなほんとにさびしいな
誰も私を振り返らない
誰も私を知らない
夜の帳が町を襲って
自分を不幸だと思っている連中が
ため息の嵐を吹きまくる
私は不幸だと思わないだけまだましか
自分の境遇を人のせいにしてはいけない
当たり前だろうそんな奴いやしない
自分だけの幸福のためになんか生きてない
そんなことしたら
私は一瞬のうちに消えてなくなる
誰だってそうあの人たちだって
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郊外の夕景 [心象のスケッチ]

たった50mほどの駅からの帰り道
夕照が背中から押してくる
振り返ればはるか遠くに
黒い影の富士山が座っている
俺は小さいなと思う
遠くから見れば富士山も随分小さい
足を止めてじっと見ていたら闇の中に消えて行った
俺はまだ消えるわけにはいかないな
ため息をついて一歩ずつ歩いて帰る
冷たく俺は俺を笑った
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さよなら東京 [旅]

昔、故郷を離れた時もうここに住むことはないだろうと思った。あのときの故郷の駅はまださびれていなかった。学生たちの声が溢れていた。東京へ向かう寝台列車の中で窓の外の移りゆく景色を眺めながら私は胸の高鳴りを覚えていた。東京駅に降り立ってまだ住むところさえ決まっていない、それでも不安を超える何かが私を捉えて離さなかった、あれはまだ19の春だった。あれから40年以上が過ぎ東京も私も変わった、そしてもっと変わったのは故郷だった。荒れ果てて森に帰りつつある田畑、誰もいない駅。私は東京の郊外の隅っこに小さく命を長らえている。もうすぐ、どこかへ行ってしまおうかと思っている、涙が枯れ果ててしまわぬように。
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春の旬 [旅]

春の旬と言えばなんだろう、魚なら鰆か桜鯛もそうだな、蛸も春が良い。山菜はもちろん春だが、孟宗竹のタケノコは京都から西の方、これは早掘りを焼くと旨い。山菜自体は北国の方が盛んだし旨い。とくにネマガリタケは日本海側でたくさん取れて加工もされる。みそ汁や焼き筍が旨い。それ以外にもフキノトウ、ツクシ、ノビル、ヤブレガサやニリンソウ、ウワバミソウ、イケマ、タラの芽、ヤマウド、コゴミ、イワタバコ、コシアブラ、ニワトコ、アケビ、ウコギ、芹、クレソン、タネツケバナ、ユキノシタ、イタドリ、ワラビ、ゼンマイ、ウルイ、シャク、・・・だいたいはてんぷらにする。(ツクシ、ゼンマイ、ウワバミソウ・ミズなどは、天ぷらにしないですが)生まれ育ったのが九州なので、山菜を覚えたのは東北に旅に出るようになってからです。九州では山菜はフキノトウ、ツクシ、ワラビ、ゼンマイ、孟宗竹とマダケのタケノコあたりまでです。山菜は癖のあるものが多いのですが子供時代は嫌いでも大人の味がわかるようになってからの楽しみです。
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井伏のカエル [弱音]

教科書に井伏鱒二の詩が載っていた、井伏鱒二と言えば山椒魚も教科書に載っていたからこっちの方を覚えている人が多いと思う。だが、思い出に残っているのは「るりだの死」という詩だ。子供にたたきつけられて死んだるりだの口に菫の花を挿す。そんな詩だったと思う、井伏鱒二の作品に登場する蛙は本人自身だと言う、どこかいい加減ででもたくさん集まればうるさいほど騒ぎ立て、表情がないのに啼きわめき笑いそうな、善人のような実は小悪党のような蛙、それに対する作者の優しいまなざし。書評でもそんなことを書かれていたと思う。一方、山椒魚はどこか気怠い無常観を感じる、出られない自分と運命を共にさせようとする山椒魚。作者は無機物のような世の中の端っこにさえいるとは思われていない山椒魚に重大な問題を背負わせたのは何故だろう?それが井伏鱒二のユーモアなのか
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貝殻島 [旅]

日本でもあちこちに貝殻で出来た島がある、一つはいわゆる牡蠣礁で厚岸や東京湾の中にもある、もう一つはいろんな貝殻が集積して島のようになるもので西表のバラス島のようなタイプ。厚岸の土着の牡蠣は一旦ほぼ全滅して今の牡蠣はよそから導入したものでしたが天然ものを復活する試みが成功したようです。りっぱな厚岸名物、氏家待合所のかきめしは忘れられません。子供の頃親類が海の家をやっていたのでそこに行くとすぐ裏の海岸で岩礁についた牡蠣を食べました、これも小さな牡蠣礁でした。わかめもよく拾ったし、まだ干潟もあって潮干狩りもできた。バラス島の方は貝殻の浄化効果で海はものすごく透き通っていましたが意外と生き物は少なかった気がします。すぐそばのリーフの切れ目が深くて青くて神秘的でした。最近海潜って無いな、素潜りで4mくらいは楽勝だったのに。
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後ろ向きばかりじゃない [心象のスケッチ]

過去を振り返ってばかりいる、そう思われるほどそんな文章を書いている。確かに若いころの記憶が今の私のほとんどを占めている、そうかもしれない。これは、ある種類の病、いや脳の作用だから仕方がない。あまりにも鮮明で心の動きさえ覚えている、だから心が過去に飛び込むのは訳もないこと。だけど、まったく今や未来を見ていないわけではない。空想力は衰えたとはいえまだ十分に残っている、不思議なことに記憶力は一気に落ちた。それは、ここ10年間の薬漬けの脳細胞に原因があるのだろうか?証明のしようもない。とにかくなんでも心を動かさないと退化する、感動すること、例えば絶景や心に染み入る歌や文章、そしてため息が出るほど綺麗な女性を見る。そんなことがないとどんどん心がのっぺりとした物体(ダリのベーコンのような)になって行かないように。
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風来坊 [詩(うた)]

ひゅーひゅーと吹きさらしの北総台地を
埃を巻き上げ奴が飛ぶ
種まき農夫は手拭いを首に巻き
自転車少女は額を出して
思い通りに奴が飛ぶ
洗濯ものも真っ黒だ
口の中もザリザリだ
太陽まで黄色く染まり
川面だって茶色の幕
ニュータウン鉄道の改札に入り込み
電車の窓まで茶色くなった
これ以上掃除をするのはまっぴらだ
疾く疾く行けよ風来坊
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彼岸の頃 [思い出]

春のお彼岸の頃、家族で墓参りをしていた。丘の上の共同墓地に掃除道具とお供えを持って登った。そこは畑の端っこ、集落を見おろす、風が通り抜けて太陽の光を燦々とうける場所。そこへ着くとまずは草切と掃除、自分の縁者の墓だけでなく、守り手のいなくなった墓や古い無縁仏の草も刈ってあげる。そしてブラシで墓石を洗い花と供物を供えて線香をたいてお参りして帰る。祖母の作った牡丹餅を供えるのが常で帰ってから自分も頂いた。あれはもう40年も前のこと私の家では共同墓地を止め自宅の敷地に墓を建てた。共同墓地はどうなっているのだろうか、私もしばらく墓参りしていない。⑩数軒あった集落は今3軒のみになってしまった、やがて消え去る運命かもしれぬ。けれどあの日青空の下で見たのどかな故郷は今でも瞼の裏にある。
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