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高原がらしくない [旅]

昔は軽井沢や清里は東京よりずっつ涼しかった。東北だって北上山地や三陸地方、下北なんて夏でもクーラーいらずだった。大学の夏休みに東北や北海道に旅行に行ったがどこでもクーラーはなかった。当時はやせっぽちだったのでどちらかと言えば寒かったと覚えている。凶作なんて話もよく聞いたし実際に江戸時代には一村全滅なんて話もあった。やませという北寄りの風が太平洋側に吹くと稲が低温障害で生育できない。雑穀でさえ打撃を受けるほどの冷害だ。それなのに軒並み最高気温が30度を超え、道東でも真夏日なんてことまである、北海道が最大の米作地帯になり食味もいいという。本州の高原では蕎麦の生育が高温障害と多雨でよくなくなっている。なのに降雪は意外とある、土地柄が薄れて行っている。それでも私は通っている。
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暑いなあ [思い出]

この時期には田舎でももう水遊びの最盛期だった。夏休みが始まるとすぐに午後一時から川が解禁になる。浮き輪や網とかヤスをもって川岸に集まる、そこで準備体操をして川に入る。小さい子らは水浴びだが中学生は魚とりが主流になる。私も手製のヤスをもって河にいった、私のヤスは刃先は市販のものだが柄は傘の心棒で先は刃先を入れて叩いてつぶしてある。タイヤのチューブを切って柄に巻き付けてこの反動でヤスを飛ばす。返しがあるので危険だがアユだろうがフナだろうがカマツカだろうが百発九十中くらい逃さない。小さい子がいるところではできないのでやや深めのところで漁をする。一度だけおぼれそうになった、川の中の穴に落ちてびっくりしてパニックになった。兄に助けてもらったが、その時の会話が「お前おごぎうまいのう」、「ちがうわい、おぼれちょんじゃ」なんともしまらない話です。今は故郷の川で魚とりをする子はいません、川自体がコンクリートの護岸でおおわれてしまいました。もともと暴れ川で橋や鉄道や道路を何度も流していましたから。でもさびしい話です。

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リンゴのうた [心象のスケッチ]

同様のリンゴの唄はなんとなくさみしい、私は真っ赤なリンゴです、そういえば最近のリンゴは真っ赤ではない。昔は紅玉が主流だったから本当に少し黒く見えるほど真っ赤だった。今のリンゴには黄色や緑の品種も増えた。青いリンゴは酸っぱい代名詞だったのが赤いリンゴより王林などは甘い。アメリカ系のデリシャスやスターキング、インドなどの交配で甘いリンゴが増えたけれど、やっぱりバランスの取れたジョナゴールドなどには紅玉が入っている。料理用としても人気があるしまだ捨て当たもんじゃない。でも、一方の雄国光は見かけなくなった。今頃は信州も青森も飯田の並木も小さな実が大きくなっているだろうな。
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人の不幸が好きな人 [世捨て人]

世の中には本当に人の不幸が嬉しい人がいるなんて思いもしなかった。しかも、世の中には他人の不幸を本気で同情する人などいないと断言している。自分が世の中の主流で他人のために何かするなんて愚かだと。確かに最近は人がちょっと良い事があると不公平だと言い自分が恩恵を受けたら当たり前だと思う人が増殖中らしい。くだらない話だが昔は割り勘の幹事は少し多めに出すのが当たり前だったが今は幹事だから他より少ないのが当然だと言う。自分が少しでも損になると怒りだす。なんだか了見の狭い輩が増えているのは残念だ。自分が気分がいいのが第一選択肢、子供の頃からそうやって生きてきたんだろう、少し残念。
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へんな人だと思われていたんだ [双極性障害Ⅱ]

子供の頃からへんな人だと思われていたんだろう、当時は発達障害とかADHDなんてメジャーではなかった。だから落ち着きのない変な子とか言われていた、通信簿には落ち着きがない、自分勝手、わがままと書かれ続けた。抑制を覚えたのはやっと中学校の時、そうしたら今度は消極的とか奉仕の精神が薄いと書かれた。泣きたいことや他人を呪うようなことばかり、でもね何処かで変わろうとしていた。高校からは過去の自分を知らない人ばかりになって、意識改革をはかってとにかく自分よりも人の事を考えることにした。徹底して自分を殺して人を立てようそうおもった。そうしたら少しずつ周りが変わった、自分が目立たなくても人がよってくるようになった。利用されようがネタにされようがそんなことより自分がいる場所がある、それがどれくらい気分の良いことか。発達障害は治らない、でもちゃんと特別な人ではなくここに生きている。大物にはなっていないが普通の人間として仕事してます。
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糸魚川に行ってね [旅]

ヒスイが国石になってあの大火から立ち直って糸魚川は少しずつメジャーになりつつある。来る人が増えてヒスイが拾いにくくなったけど、そんなケチなことよりやっぱり活気を取り戻したほうがいい。フォッサマグナミュージアムも結構な賑わいで拾った石を鑑別してもらう列が出来てたりする。焼きそば番長も少し微笑んでいる、ジオ丼もイロイロあるから是非どうぞ。寿司もお蕎麦もお酒も美味いよ、ラーメン麺だって負けてない、九州出身で全く縁もゆかりもないけれど、よろしくお願いします。
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症状が出ていない [双極性障害Ⅱ]

ここしばらくあの重くて悲しい気分が出ていない。そして妙に上ずったあのそわそわした、ぞわぞわも出ていない。だけど主治医に言っても「しゃ、このままでいきましょう」となってしまう。緩解はないのか、死ぬまでリチウムとアミノトリプチンは離せないのか。ここまで薬は減ったのにこの二つになってからもう8年になる、効き目はわかるけれども量が減るとかもない、これを飲んでいる限りこの病気を克服したことにならない。無理をするな、60%でいい、そうは言われるけれど生きている以上ずっと60%で生きてはいけない、私は病気だからこの辺でいいです、地位だとかはそれでいいけれど、任せられたものはやらねばならない、合格点でいいとは言えないよ。自分のためなんて頑張れないし頑張る気もない。だけど頼まれる頼られるものは頑張らなきゃ失礼だろう。そうやって生きてきたから、誰かのため生きがいなんだ、金も礼もいらない、苦しい。
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渓谷を行く [思い出]

翠滴る渓谷を手漕ぎボートで下る
つる草の翠の袖をかいくぐり
小さな滝を浴びながら
ゆっくりとゆっくりと下ってゆく
オールが切る水面は翠に揺れているのに
オールがが上がるたびに銀色の雫が跳ねる
見下ろせは小さな魚影がせわしなく
見上げれば夏の雲がぽっかり浮いて
ほんとういい気分だ
ここはきっと極楽で私は蓮の船に乗っている
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きらきらうえつとみのり [旅]

今はなくなってしまったが新潟から坂田まで臨時快速列車きらきらうえつをよく使った。大きな窓で笹川流れを見るのが好きだった。これで酒田に行きそこから臨時快速みのりにのって仙台に行った。特別列車の乗り継ぎを青春18きっぷでできるというお得なものだった。残念なのはこの区間で駅弁が買えるのが新潟を逃すと新庄までないということ。しかも新圧で変えるのは米沢の駅弁、昔は新圧でも鳴子でも駅弁があったし酒田や鶴岡にもあった、東北の駅弁はご飯の量も多かったしおかずも味の濃いご飯喰いの総菜が多かった。覚めてもおいしいご飯だった、もち米が少し混じってた気がする。東北はいいな小岩井農場なんてのも初夏はいいぞ。
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また、青春18買いますか [旅]

なんだかんだとやっぱり買っている青春18きっぷ。今度はマイレージの特典航空券と組み合わせてみようと思う。北海道や東北の空港が使いやすい、稚内空港や女満別空港、大舘空港や庄内空港は特典航空券が使いやすい。しかも長大路線がまだ生きている、宗谷本線や釧網本線は廃止になる可能性もあるからあるうちに行くべきだと思う。東北の場合羽越線と奥羽線が18きっぷで行くのにはいい。横断線である陸羽東西線や北上線もいい、沿線は温泉だらけだし蕎麦もうまい。五能線は言うに及ばず、花輪線や田沢湖線もいい、18きっぷでは乗れないが秋田内陸や津軽鉄道といった個性的な私鉄もある。東北の魚はどれもうまいし酒もうまい、楽しみはゆっくり考えよう。
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