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今年も半分終わっちゃう [双極性障害Ⅱ]

もう6月末、あっという間に終わっちゃう。ながらえば月日の経つのは早い、まだまだ人生は残っているようだ。病院通いがなくなる日は来るのだろうか、私自身がエンドマークを打たなければ終わりは来ないような気がする。私が病に憑りつかれたのはもう10年以上も前。そしてそれを契機に次々に病気が増える。抗うつ剤や安定薬の副作用が着実に表れた、拒食症ではなく過食症で太る、血糖値が上がる、糖尿病になる。胃がやられる腎臓がやられる肝臓がやられる、神経がやられる。
ま、その前に頭と心がやられていた。こうやって永らえてきたから、もう自分で自分に望むものはない。でも、そう思っているとこれから何をして生きてゆこうか、望みもないただ生きているに陥りそうな私。だけど、生きてゆく。
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何をやってもダメな人、それは私 [弱音]

世の中で自分ほど情けない奴はそういないだろう。運動神経はひどく悪い、運動部にはいたが短距離では後ろから二、三番目、マラソンでは少しマシになる。跳び箱では前方展開ができない、肩を脱臼した、鉄棒では連続前回りができない、バク転も前中返りもできない。水泳は泳げるが遅いしバタフライができない。遠投もソフトボールだと40m行かない、幅跳びなど3mしか跳べない、垂直跳びはまだましなほうでちょうど真ん中程度、これで本当に部活やっていたのか?音楽ではピアノも弦楽器も弾けない、工作では曲がった椅子しか作れない。絵は色彩感覚がダメですべてが灰色か茶色になる。それでもちゃんと生きている、仕事もしている、なんとかなるもんだね。
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こんなに明るい季節 [心象のスケッチ]

なんて空が高いんだろう
しかもこの深みのある青色はどうだろう
綿毛のような雲さえ全く気にならない
あれほどひどい雨だったのに
どこに吸い込まれていったかわからない
私は誰もいない公園のベンチに寝転んで
目をつぶって心を空の奥深く投げて
誰かの顔を思い出しながら
ずっと遠い場所に飛んで行った
あの場所でかつてあったことを
もう一度体験するために
遠い遠い記憶の隅っこを掘り起こして
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博多土産 [旅]

ちょっと福岡出張すると会社の人にお土産を買う。最近は博多通りもんが定番のようだが、私は敢えて博多の女か鶴乃子を買ってくる。もちろん老舗ならにわかせんぺいや鶏卵素麺なんかもあるし博多ぶらぶらもある。筑紫もちは信玄餅とよく似ている、厳密には博多ではないけれどひよ子、千鳥饅頭とチロリアン、九十九島せんぺい、松露饅頭、小城羊羹などもお土産売り場にあって悩むこと。会社の人には福岡のもの、自分には好きなのを買って帰る。個人的には鶴乃子、そっくりだが小倉の雪うさぎもいい。最近ではどら焼きの仲間が増えてイロイロ買える、博多駅はお菓子のお土産のワンダーランド、明太子だけじゃない。
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坂道を登って [心象のスケッチ]

遠い坂道を見上げながら歩く
電柱の列が続いている
街灯がつきはじめたころ
私は一人後ろ髪惹かれながら
それでも足を進める
もう戻ることはない
いや戻ることは物理的に不可能なのだ
時の逆行は許されない
だからこの坂道を登るしかないのだ

足を止めることは許されていない
泣こうが笑おうがどうでもいい
私はすべての人々は進むしかない
どこに続くかはわからない
思うような

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変わり行く時 [世捨て人]

何を求めればいいのか
何処に向かって歩けばいいのか
僕は誰も知らない自分だけの海を
ぼろぼろの帆をあげてる

鏡の中に気がつけば老いさらばえた男がいた
涙も出ない詩もうたえない
坂道の途中から息も絶え絶えに
ため息を投げつける

さようならここにいるのは



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私は僕はの違い [双極性障害Ⅱ]

私と僕の違いは、文章の中でより自分に主観があるときは僕になる。思い出の中で私はゆっくりとおぼろげな舞台がはっきりし始めると僕を使うのだ。だから私は宙に浮いた存在で僕は感情を持った人間だ。旅に出ても叙景が私、抒情が僕。そういえば高校生の時好きだった人が自分をボクと称していたことも影響がある。結局言えないままだったけれど、いや確かに一度言ったことはあった、冗談にとられて一蹴されてしまった。私と僕は本当は気まぐれなのかころころ変わるけど、話し言葉では私のほうがほとんどだな。
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俳句は難しい? [心象のスケッチ]

俳句といえばとして思いつくままに書いてみる。

柿食わば鐘が鳴るなり法隆寺(子規)
白露の無分別なる置き所((千代女)
初時雨猿も小蓑を欲しげなり(芭蕉)
ハマグリの二見にわかれゆく秋ぞ(芭蕉)
象潟や雨に西施がねぶの花(芭蕉)
飲み虱馬の尿する枕元(芭蕉)
梅が香にのっと日の出る山路かな(芭蕉)
名月をとってくれろと泣く子かな(蕪村)
菜の花や月は東に日は西に(蕪村)
累とは八重撫子名前なり(曽良)
無残やな兜の下のきりぎりす(芭蕉)
一ツ家に遊女も寝たり秋の月(芭蕉)
草の戸も住み変わるよぞひなの家(芭蕉)
古池や蛙飛び込む水の音(芭蕉)
笈も太刀も五月に飾れ紙幟(芭蕉)
涼風の曲がりくねって来たりけり(一茶)
降る雪や明治は遠くなりにけり(草田男)
海に出て木枯らし帰るところなし(誓子)
こだまして山ほととぎすはしいまま(久女)
あらたうと青葉若葉の陽の光(芭蕉)
旅に病んで夢は枯野を駆け巡る(芭蕉)
易水に根深流れる寒さかな(蕪村)
とんぼ釣り今日はどこまで行ったやら(久女)
春雨や喰われ残りの鴨が鳴く(一茶)
これがまあ終の棲家か雪五尺(一茶)
畑打ちや法三章の札のもと(蕪村)
大の字に寝て涼しさよ寂しさよ(一茶)

分け入っても分け入っても青い山(山頭火)
入れ物がない両手で受ける(放哉)
自分が通っただけの冬ざれの石橋(放哉)
咳をしても一人(放哉)

句集など読んだことはあまりない。紀行文としての奥の細道は読んだことがある程度。ちゃんとやろうと思うと先生に付いたり句会に通ったりしなければいけないのだろうか。歳時記を買ったりしてみたことはあったが結局何もしなかった。17文字にすべてを込めてなおかつ余韻も残さなければいけない。蕉風の寂 (さび) ・撓 (しお) り・細み・軽み、付合 (つけあい) には、移り・響き・匂 などがわかるまでは到底無理だな。幽玄でさえ未踏の極地だし。
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修辞法ってわかる? [世捨て人]

文章が自分ではうまいと思う人は半数はビジネス文書的にSVOCをちゃんと決めて書く、もう半数は修辞法を駆使して自分の文章に酔って書く。自分は文章はうまくない、誤字脱字だらけ、でも心の動きのままに書こうとしている。仮名序の業平ではないがその心余りて言葉足らずしおれる花の色無くてにほひのこれるがごとし。言葉以上に心を感じさせる文章が書けたらいいな。そんな時に使うのが修辞法だけど、あんまり使うと嫌味になるし難解になる。比喩や擬人法、対句、反語、倒置法、反復法、誇張、列挙、漸層あたりまでか、押韻やルフランもそうかもしれない。たくさんあっても理論ばっかりになってもだめだろう。だも私の文章倒置が多すぎる、主語が分かりにくい。わかっていても癖が出る、美文はかけないね。
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糸魚川詣で [旅]

またしばらくぶりに糸魚川へ、お金がないのに何をしているんだろう。しかも最近は全くヒスイが拾えない。ネフライトやメノウ、玉髄はまだたくさん取れる。先日ヒスイ以外を整理して鉢植えの木の下にまいた。妻は旦那の趣味が石だといっていつも笑う。今回は少し場所を変えて定番の宮崎海岸、市振海岸、青海海岸ではなく糸魚川の北側、押上海岸や梶屋敷のほうへ行ってみる。でも、こちら側でヒスイを拾った実績はない。夜の飯がないので糸魚川に帰ってということになるが、いつも泉屋さんというわけもいかないし、バンビーノのピザもおいしかったんだけど、ブラック焼きそばもびーあパークも青海のラーメン屋もなあ、出来たらうまい地魚がいいかな。堪能できるかな、ヒスイはきっと取れないだろうから。あ、町の小物屋さんチヨフクさん頑張ってるかな?
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