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定年ですか [心象のスケッチ]

よくここまで続きました、根気がないADHDの症状をごまかし、双極性障害II型も出てきてこれ以上は仕事なんて無理だと思いながらそれも通院でごまかそうとしたが、結局は一年半休職、でもどうしても復帰したいとリワーク通いののち復職。それから8年ここまで来ました、足の障害も持ったまま、以外と粘り強いのかなぁ。出世とかずっと捨てて、誰かの代わりに何かするそれがずっと続けてきたこと。自分が得する必要はない、それでいい。しかし、年金もまだ出ないので再就職が厳しい、障害者枠と経理財務で探しているが、世の中厳しいね。
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迷い子のように [心象のスケッチ]

時を自分の好きなように浪費して
今頃になってこれからどうしようかと考えている
真新しい都会の端っこにちょこんと座り
若者を見ながら微笑む仏様になれるはずもない
身体中に撒き散らされた悪意の細胞が
この身を食い散らかすまでそうは時間がない
その前に先に行っている両親へ読経と線香そして合掌
私はあなた方のように正しく生きてきただろうか
自らを恥じる事なく優しさだけに心砕いて
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感謝がここに(膝窩動脈損傷からの奇跡) [思い出]

驚いたことがある、それは自分の40年も前の交通事故のこと。その時に行われた手術のことだ、私の傷病名は右脛骨腓骨骨折膝窩動脈損傷これは手術跡に記載されたもので、昭和54年当時の技術ではなかなか難しい手術だった。私は早朝6時半ごろに対向車と正面衝突し負傷した。そして相手の車で近くの公立病院に搬送された。レントゲンを撮って公立病院の医師が週1回来ていた県立病院尾整形外科医に指示を仰ぎ県立病院への転院を救急車でするように取り計らった。県立病院までは1時間半ほどだが鎮痛剤が弱くずっ呻き声をあげていた。病院へ着くと骨折部分の整復術の手術計画を立て翌日の夕刻と決まった。しかし患部の腫れが異常なので減張手術をして様子を見たが一向に改善しない、翌朝膝窩動脈損傷を疑い血管造影を行うと動脈損傷が判明した。そこで、主治医はすぐに血管外科の医師を呼び血行再建術を静脈接合で行い、そのまま骨折部分の整復術(その際に半月板を除去し脛骨にプレート固定)、壊死していた脹脛の大部分を除去、左足からの植皮100㎠を実施した、手術室に入ったのが10時半出てきたのが11時半、後で、あの時の患者かと言われ続けた。通常、動脈損傷から1日以上経過しており事故創傷も大きく感染症の疑いもあったため膝上切断が当時の通例であり、また術後に感染症で切断例も多かった。しかし、高熱は続いたものの抗生物質の投与などで危機を脱し、半年後に退院した。当時はどうも思っていなかったが、あの時に最初の公立病院でいたら、転院しても動脈損傷に気づかれなかったら、感染症にかかっていたら、運の集積が今のこの右足なんだなと思う。勿論、後遺症は残っているしリハビリも大変だった、しかしそんなことをはるかに超えてここにいる。世の中に膝窩動脈損傷で切断した人があまたいる中で私は運がよかったのだと。奇跡のようなリレーで奇跡のような結果、足一本されど今もついている奇跡。
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禍の貝殻 [世捨て人]

幾つかの重い思いがありました
夏の日照りと秋の台風がやってきて
酷く生きにくい時だと狼狽えました
それでも容赦なく時は流れました
何物も恐れず立ち向かえた
力強くたくましかったのはほんの一瞬で
やがて衰えを感じながら後ずさりして
殻の中に閉じこもり
ついには腐って石灰の殻に同化しました
それだけの話です
80年かかってそれだけの話です

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そこは荒れ野 [世捨て人]

立派な農道が南へ伸びている
強烈な太陽に照らされて
逃げ水が陽炎とダンスをしている
ここは確かに俺のうちの畑だが
今は草茫々として小さな樹木が生え
その赤い火山灰土も見えない
俺が一生懸命に麦を踏み陸稲を刈り取り
あるいは綿やトロロアオイの花を摘み
収穫を歌った畑が消えた
そしてうちの畑だけでなく
この農道の前も後ろも皆荒れ野
何があったわけでもない
耕す者が消えただけ
それでも農道は虚しく伸びる
逃げ水と陽炎のステージとして
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わからない歌 [思い出]

タイトルも誰が歌っているのかもわからない。それでも口をついて出て来る、さようなら悲しい青春達、というフレーズ。大学受験に今日も街が、、、、、メロディーも出て来る、でもネットで検索しても出てこない。悲しいのがとても染み入る、フォークソングなんだろうけど、結構流行ったと思う。同じように過去に取り残された歌を歌う、古いなと歳をとったなと思いながら。哀しい哀しい哀しい哀しいですね、、、これもわからない、ネットは何でも知っている、そんな事はない。昔の音楽の教科書に載っていた、毬栗という歌も何処にも載っていない。毬栗一つ色鮮やか、、、、、わかったら良いんだけどな。
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めし [思い出]

めしがうまいかどうかは宿泊の大事なポイント。量や値段が高いではない、私が一番重きを置くのは地元の食材を地元ならではの食べ方で出してくれること。もちろん最近は東京でも地元の食べ方で出してくれる所もある。それでも、わざわざ行って食べる価値があると思うものは外せない。例えば下北の貝焼や富山の白エビ、ゲンゲ、月山の根曲がり竹、秋田のだまっこ、只見の大イワナ、長崎の飛魚、沖縄のアバサーやイラブチャー、三河湾の大アサリなど。挙げればきりがないが、宿泊先で出ないものは街へ出て飲み屋を探して歩くとやっぱりある。そういうものも含めて、旅はめしが一番楽しみ。
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少年が [心象のスケッチ]

朝はまだみんなが眠っている頃
ジーンズと白いシャツに白い帽子
始発電車を待ちながら
少年はまだ見たこともない街へ
初めて会う人のいる街を
言葉だけの面影を心に抱いて飛び乗った
少しの不安と大きな憧れが
手招きしている夏休み
愛とか恋とかそういうものではなく
ただ初めての出会いと初めての街へ
朝日が少年の横顔紅く染めて
夏がくれたものこれからも大事抱えて
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滅びの美学と私の美学 [世捨て人]

桜は散り際が美しい、一方でクチナシや泰山木の散り際が哀しいくらい。日本人の滅びの美学は桜に由来している、と言われる。だけど散りゆくものは美しい、〜そう思うのは日本人だけらしい。刀と侍とハラキリの国は美学にこだわる、私の美学は我慢する事、これはADHDがひどかった頃に徹底的に仕込まれた。とにかく、両親にねだった事はない、物欲は徹底的に排除され、気持ちの悪い子供が形成されてしまった。それが今も引きずって、喜びの表現ができない、嬉しくないのではないのに。正直になる事がいけない事になる、qそれを納得する為に美学と称しているだけ。
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眠れない夜に [詩(うた)]

風もないむし暑い夜
蚊帳を吊って窓を開けていた
蚊取り線香の火が赤く空の群青に対峙していた
僕はたった一人で実家にいた
虫の声しか聞こえない
どこを見ても灯りのない
父も母も母屋に行ったまま
中学生の僕は猫と二人きり
猫に話しかけたら何かフニャフニャ言うだけ
今日は根子岳参りには行かないか
と話しかけたら猫の目が宙を飛んだ
青い光がゆらゆらと飛んで行った
祖父は亡くなったと思った
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