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大みそかの担当 [心象のスケッチ]

私の担当の毎年恒例のタケノコ、里芋、シイタケ、牛蒡、こんにゃく、焼き豆腐、昆布のお煮しめを作って、年越しそばを作ったら大みそかの仕事も終わり。煮しめは大分風で出汁はシイタケといりこ、昆布も使うことがある。シイタケとタケノコ、里芋は醤油で甘めに、牛蒡、昆布、こんにゃくは薄味で炊き。(家では聖護院大根と金時人参も入るが私は入れない)、これを大皿に盛る。本当は年越蕎麦も自分で打てればいいのだが、うどんは打てるが蕎麦は自信がない。あれは絶対誰か先生につかないと打てない。小さい時からそば粉自体はよく扱ったが蕎麦饅頭や蕎麦がきばかりでそば切りは家ではやらなかった。なますは妻の担当、私がやると甘味に干し柿を使うが干し柿が妻は嫌いだ、さて今年もやるか。

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正月準備 [思い出]

もう何十度も正月を迎えてきたな、同じことをやってきてたいしてめでたくもないのに気持ちを新たになんてやっている。無神論者に近いくせに初詣に行って世界から悲しみが少しでも減りますようになんて祈っている。自分のことをあまり祈る気になれないのは恵まれているということなのだろうか?ついてないと悔やむことがないわけじゃないし、ああすればよばかった、こうすればよかったなんてことだってある。ただ、自分なんかに法外な幸福なんて必要はない、世の中にあんまり役には立っていない。けれど、どこかの歯車として何かを回すことの一部を形成しているかもしれない。だから、不必要ではないと思おうとしている。といろいろ言っているとケルヒャーを足元に出されてバルコニーと窓掃除の時間が来たようだ。それでも田舎に比べれば正月の準備も楽なもんだ。大掃除では竈と風呂の煙突を篠竹で掃除する。畳をあげて埃を叩きだす。障子を庭に出して張替えを行う。餅つきも昔はもち米を水につけて野外のかまどで蒸籠で蒸かし、臼に入れて杵でよくこねてからついた。それをとり粉を引いた”もろぶたに”広げて丸めて餅にした。餡入り、御鏡、丸餅、切り餅(豆いり、青のり入りなど)を作った。水神、火の神、ご先祖様に山でとってきた榊と裏白を備え、鏡餅とミカンを備えた。そして山から松と竹を切り出して庭の梅と一緒に松飾を作った。すべてが自分たちでやっていたな、本当に正月を迎える気分になったもんだった。今では田舎でもそんな家ももうないだろう。




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御用納めの日 [世捨て人]

今日で年内の仕事は終わる、今年は年末年始の休みが短い。昔は御用納めは会社でちょっとした宴会を開く会社も多かったが今は少ない。総務関係の人の余計な仕事が増えるからだと思う、自分も総務だった時後片付けなどで結局定時を過ぎて相当残っていた。今の会社はいったん廃止したがここ数年で復活している。そういえば、この時期社長の年頭の辞を起草し、最終稿を入れるために年末も会社に出てゴルフ場の社長とやり取りをしていた。しょっちゅう叱られてばかりだったが今では笑える思い出だ。こんな適当な私が根を詰めるほど社長はすごい人だった。さて、今日は終わったら誰かと飲みでも行くか。
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脳内雑音 [双極性障害Ⅱ]

頭の中で変な音がする、チクチクとかカチャカチャとか、どうしたのかな?以前、抗うつ剤をたくさん使っていた時に同じようなことがあったが最近はなかった。リチウムとトリプタノールにしてからこんなことはなかったのだが。この強力なコンビはかれこれ10年近く最悪の状態には効果があると思ってきた。大鬱気の長い私にはこの3環系は相性がいい、また時々飛び出す軽躁にもリチウムが効く。本当は薬は止めたい、だけどそう簡単には行かない。他人は無責任にすぐ薬なんかやめちまえと言うが、もし悪化した時のことは考えるはずがない。よく薬が病気を作ると言うような話をする人がいるが、それは自分の例や数例を見て全体を言っているだけで無責任な発言だ。病気の世界で体験談と言うのは説得力はあるように見えて一番あてにならないもの。あくまで1例として聞いておくべきもの、さて今回の頭の中の音、どうやった治るのか、まずはワイパックス、マイスリーでとりあえずちゃんと寝たら治りかもしれない。
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人の気も知らないで [思い出]

中学、高校の時よく言われたのは「あんたは女の子の気持ちがわからん人やなあ」、決してわからんわけではない、わかるのが怖かっただけだ。男同士で誰誰がいいとかかわいいとか、そんな話をするのも苦手だった。相手にばれて嫌われるのが怖かったからだ。だいたい、「あの子はお前に気があるらしいよ」なんて話があるともうその子が気になってしょうがなくなる。だけど、半分以上ががせネタで調子に乗っているのは自分だけ、みたいなまるでピエロのようなのは悲しすぎる。だから気持ちなんて知らないほうがいいと思うようになった。でも、いざ付き合う人ができたら、困った、ずっとつけてきた癖だから急には治らない。それで言われたのが冒頭のセリフ、でも、付き合う人ができる前から何度か言われていた気もする。本当に残念な人だった青春時代だな、今も変わっていないかもしれない、奥方申し訳ない。
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もうクリスマスか、宗教にはむいてない [双極性障害Ⅱ]

クリスマスとかハロウィーンとかイースターとかあんまり縁がない。別にキリスト教だからではなく家は臨済宗だが灌仏会もやっていない。宗教にかかわる祭りはそれほど重きをなしていなかった。鎮守様の村祭りでも神輿は担がなかったし神楽も舞っていない。さすがに葬式や仏事は執り行うが、それも両親が亡くなり田舎に帰ることが少なくなったのでもうやっていない。だから、どうしても宗教行事に参加する気が湧かない。遊びだったらどうだっていいと言う気もこらない。たぶん、根っから心が邪念の塊だからだろう。そういえば、大学生の時に好きな女の子とひょこひょこついていったらカルトもどき集団だったんで逃げてきたことがある。初詣くらいは行くのだけれど。
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定年延長 [世捨て人]

来年は定年の年だが、年金も出ないので簡単に仕事はやめられない。ただ、雇用延長を申請すると賃金が6割近くカットになる。子会社に転籍すれば6割くらいにはなる、それでいてやることはほとんど変わらない。役職は取れても同じことだ、会社にははるか昔から提言してきたが新しい制度設計が大変なことを見越してやらない。おそらく働き方改革よりもと深刻な問題だ。当然企業の支払い能力や経済状態もあるだろう。安い労働力として60以上を活用するのが当たり前になっている。働く者の側にも弱みがある、自分がやってきた仕事がほかの会社で本当に役に立つのか?銀行や商社の人の再就職が本人の自信とは裏腹にまったく再就職先のプラスになっていないことは多い。〇〇を知っていると言う表現は意味をなさない、企業間のつなぎができるという役割はゴミのようなもの。知っていると言うのは人ではなく中身を知っていると言うこと。私は会計や税務や社会保険の実務ができる、だけどそんなものも再就職の売りになりはしないことを知っている。所詮、会社の中でやってきた事だから、ほかのところへ行って快刀乱麻を断つことは無理なのだ。さて、あと半年ちょっとどう考えるか、それが問題だ。
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年の暮れとイルミネーション [心象のスケッチ]

12月頭からどこでもイルミネーションが点る
クリスマスやハッピーニューイヤーとせっとのようだ
綺麗なものにケチをつける気はない
皆が見て綺麗だと言えばそれは綺麗なのだ
ひとりぼっちのクリスマスだって
帰る場所のない正月だって
雰囲気がそう思わせてくれれば
それなりにあったかいものだ
好きな人や大切な人は心で思えばいい
木枯らしの街の灯りを見つめて
溜息が流れて消えたら家に帰ろう
独りは寂しくない
強がりでもないさ
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幽霊として生きる [世捨て人]

本当はここにあってはいけないものとして
私の存在があるのだろうか
誰にも気づかれないが
どこか情念の外にある異様な気を放ち
死んだ魚の目で往来を見ている
憑りつくわけでも祝福するわけでもない
まるで空間と時間の隙間で待つ
幽鬼のようなもの
そうやって人と街を見ながら
ヤガテ腐敗して消える
それだけのために今は生きている

すでに生きながら幽霊になっている
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ここで終わる [双極性障害Ⅱ]

一生懸命にまじめに生きようと
自分の全力を費やしてちゃんと生きたい
けれども心は逃げを打つ
すべてが自分で完結できるわけはない
そんなことはわかっている
私が人格の崩壊者であることを知らないか
世の中のすべての悪意の集積だ
挫折と言うのは敗者の逃げだ

責めないでくれよう
これ以上責められたら生きていけないよ
生きていく価値はないかもしれない
それもその通りだ
すべておっしゃる通りだ

だけど
ああだけどと言うな
私には生きて行く隙間が1ミリもない
ここで終わろう
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