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縄文人のように [双極性障害Ⅱ]

うちの嫁さんに昔の話をすると貧乏自慢していると言われる。どこに貧乏を自慢できる奴がいるのか、それはみな今はいい時代になったなと言うわけです。赤貧洗うがごとし、その日のお米がない、隣が精米所だったのでお米を借りてあるものを探して食べる。ご飯を増やすためのおじやだった、醤油で味付けして田圃でとった芹は苦くて臭かった、そこに菜っ葉のみじん切りが入ったものだった。すこしましになってくると家で作ったシイタケが入るようになる。お米がなければ団子汁に菜っ葉と大根、里芋が入ればごちそうだった。麦こがし(こうせん)やそばがきもよく出た。牛の餌用の大麦を煮たのをこっそり食ったこともあった。じゃがいも、サツマイモは少しの畑でもできるので私が畑の手伝いができるようになると割合が増えた。じゃがいもはでっかいまま醤油で煮た、サツマイモは汁のみやご飯に炊きこんだりした。山菜は定番で春母語馳走、土筆、フキノトウ、蕨、ゼンマイ、タラの芽、ウド、ノビル、ユキノシタ、山椒やクレソン、タケノコ(孟宗、真竹、破竹など)だ。秋にはむかごや山芋、山栗、くるみなどもご飯に混ぜた。山を歩くことは食べ物を探すことと同意義だった。でも、今の人にはかえって新鮮かもしれない、罠で狩りもしたし狩猟採集生活だから、もしかしたら縄文人だったのかな。
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