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驚愕 [思い出]

驚いたことがある、それは自分の40年も前の交通事故のこと。その時に行われた手術のことだ、私の傷病名は右脛骨腓骨骨折膝窩動脈損傷これは手術跡に記載されたもので、昭和54年当時の技術ではなかなか難しい手術だった。私は早朝6時半ごろに対向車と正面衝突し負傷した。そして相手の車で近くの公立病院に搬送された。レントゲンを撮って公立病院の医師が週1回来ていた県立病院尾整形外科医に指示を仰ぎ県立病院への転院を救急車でするように取り計らった。県立病院までは1時間半ほどだが鎮痛剤が弱くずっ呻き声をあげていた。病院へ着くと骨折部分の整復術の手術計画を立て翌日の夕刻と決まった。しかし患部の腫れが異常なので減張手術をして様子を見たが一向に改善しない、翌朝膝窩動脈損傷を疑い血管造影を行うと動脈損傷が判明した。そこで、主治医はすぐに血管外科の医師を呼び血行再建術を静脈接合で行い、そのまま骨折部分の整復術(その際に半月板を除去し脛骨にプレート固定)、壊死していた脹脛の大部分を除去、左足からの植皮100㎠を実施した、手術室に入ったのが10時半出てきたのが11時半、後で、あの時の患者かと言われ続けた。通常、動脈損傷から1日以上経過しており事故創傷も大きく感染症の疑いもあったため膝上切断が当時の通例であり、また術後に感染症で切断例も多かった。しかし、高熱は続いたものの抗生物質の投与などで危機を脱し、半年後に退院した。当時はどうも思っていなかったが、あの時に最初の公立病院でいたら、転院しても動脈損傷に気づかれなかったら、感染症にかかっていたら、運の集積が今のこの右足なんだなと思う。勿論、後遺症は残っているしリハビリも大変だった、しかしそんなことをはるかに超えてここにいる。世の中に膝窩動脈損傷で切断した人があまたいる中で私は運がよかったのだと。
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