SSブログ
前の10件 | -

倒れちゃいない [詩(うた)]

まだ倒れちゃいない
手には力は入らない
頭はぼうっとしている
全ての感覚が失われつつある
それでも倒れちゃいない
誰も恨んじゃいない
誰も妬んじゃいない
僕が僕であることを諦めない
nice!(0)  コメント(0) 

もう秋だね [心象のスケッチ]

朝早く家の周りを散歩していると蝉の声が弱まって秋の虫の音が聞こえてくる。まだまだ露を置いた朝顔は自分の時代を謳歌しているが、やがて目立たぬ種になる。命なんて盛りは僅かな時間、どんなに抗おうとも変わらない。それでも、この短い秋のうちに次への命をつなぐ。儚いが強くたくましい命たちがいる。そんな場所をもう木枯らしを見に受けてうつむきながら歩く俺がいる。立ち止まっても誰一人声をかけてくれる人なし、もとより俺を知る人がいない、俺だけの黄昏。
nice!(0)  コメント(0) 

生きてゆくためには働く [弱音]

体と頭の老化は頭の方が先にくるようだ。確かに体もボロボロなのだが、頭はもっとひどい、認知症がすぐそこまで来ている。がんばってDHAだのEPAを食いまくっているが効果がない。いや効果はあるのだがそれ以上にボケが進んでいるのかもしれない。父も母もなくなるまでボケてはいなかった。ボケは遺伝ではないようだ、妻の両親も90近いがかくしゃくとしている。ボケた頭を抱えつつあと5年間も安い賃金で働かなきゃ行けないとは、とほほな老後だな。
nice!(0)  コメント(0) 

僕の嫌われ方 [世捨て人]

僕は嫌われると徹底的に嫌われる
ちょっとしたことで嘘をついてしまうことがある
盛り上げとしてついてしまうくだらない嘘だけど
許されないことだってある
今までに2度ほど面と向かって嫌いですと言われた
といっても弁解のしようがない
相手が言うのが正しい時には無駄な弁解はしない
たとえ自分に都合が悪い事であっても事実なら反論しない
これ以上嘘を塗り重ねても仕方がない

だから、死ぬ前に嘘は書き換えておこうと思う
といってももう嘘もほとんど残っていないのだけれど

nice!(0)  コメント(0) 

9月9日 [旅]

今日は陽の九が重なり重陽の節句だ。日本では九は苦につながり縁起が悪いとされているが中国では奇数が尊ばれ中でも九は良い数字、それが重なる縁起の良い日なのだ。上古の宮中では群臣が宇治川の氷魚と菊酒を賜わったと言う。菊には延寿の効があり酒に入れて飲んだらしい。昔、金沢の駅弁で菊酒弁当と言うのがあったが、確か日栄の瓶が入っていたような気がします。菊酒そのものではありませんでしたが。ことわざで六日のあやめ十日の菊と言うのがありますが、この菊は重陽の節句の菊です。意味は時期を逸して意味のないもの、程度の意味です。さて、菊酒ならぬ菊の花のお浸しでもいただきますか。もってのほかで
nice!(0)  コメント(0) 

いいことばかりじゃなかったけれど竹田 [思い出]

4年過ごした、正式には三年半だが竹田の街に通っていた。部活とか楽しいこともあったけれどADHDのせいで徹底して嫌われることもあった。わからない人にはわからない、だから笑って済ます。でも殆どの人がまあ仕方ないと受け入れくれた気がする。怪我で留年して一つ学年が下がると更に辛かった。でも前の学年の時と同様に僕を前に押し出す奴がいて、無理にでもコミニケーションを取らざるを得なかった。自分のためにと言うと途端にやる気がなくなる性格をうまく使われて、みんなのためだと言われると引くに引けなくなる。こんなダメダメ人間なのに、部活のリズムでいたから放課後もなかなか家に帰らない。勉強はする気がなし、後輩の女の子とくっちゃべっている時間が一番楽しかった。だからやっぱりいいことの方が多かった高校時代でした。
nice!(0)  コメント(0) 

コキアの丘 [旅]

私のPCのスクリーンセイバーは2015年の秋に訪れたひたちなか海浜公園のコキアの丘。空の青さとコキアの赤、そして丘の上の人々、携帯電話で撮ったとは思えない。コキアの丘その下にあるコスモスはあちこちのインスタで上げてある人がいるのでその中では大した事はない。あれからさらに有名になっていく人も増えた。毎年色付く時期が違うのでコロナで行けなかった時を除いて毎年行っている。ネモフィラも悪くはないがコキアの方が好きだ。とんぶりの実も好きだし枯れたコキアで作ったホウキも使っていた。実は毎年、実家の玄関にホウキグサ二本植えていたもの。コキアは地元ではホウキグサと呼んでいた。
nice!(0)  コメント(0) 

驚愕 [思い出]

驚いたことがある、それは自分の40年も前の交通事故のこと。その時に行われた手術のことだ、私の傷病名は右脛骨腓骨骨折膝窩動脈損傷これは手術跡に記載されたもので、昭和54年当時の技術ではなかなか難しい手術だった。私は早朝6時半ごろに対向車と正面衝突し負傷した。そして相手の車で近くの公立病院に搬送された。レントゲンを撮って公立病院の医師が週1回来ていた県立病院尾整形外科医に指示を仰ぎ県立病院への転院を救急車でするように取り計らった。県立病院までは1時間半ほどだが鎮痛剤が弱くずっ呻き声をあげていた。病院へ着くと骨折部分の整復術の手術計画を立て翌日の夕刻と決まった。しかし患部の腫れが異常なので減張手術をして様子を見たが一向に改善しない、翌朝膝窩動脈損傷を疑い血管造影を行うと動脈損傷が判明した。そこで、主治医はすぐに血管外科の医師を呼び血行再建術を静脈接合で行い、そのまま骨折部分の整復術(その際に半月板を除去し脛骨にプレート固定)、壊死していた脹脛の大部分を除去、左足からの植皮100㎠を実施した、手術室に入ったのが10時半出てきたのが11時半、後で、あの時の患者かと言われ続けた。通常、動脈損傷から1日以上経過しており事故創傷も大きく感染症の疑いもあったため膝上切断が当時の通例であり、また術後に感染症で切断例も多かった。しかし、高熱は続いたものの抗生物質の投与などで危機を脱し、半年後に退院した。当時はどうも思っていなかったが、あの時に最初の公立病院でいたら、転院しても動脈損傷に気づかれなかったら、感染症にかかっていたら、運の集積が今のこの右足なんだなと思う。勿論、後遺症は残っているしリハビリも大変だった、しかしそんなことをはるかに超えてここにいる。世の中に膝窩動脈損傷で切断した人があまたいる中で私は運がよかったのだと。
nice!(0)  コメント(0) 

空の高い場所へ [旅]

昔は毎年のようにこの時期に盛岡を訪れて小岩井農場に行った。東北の早い秋を感じて草原の向こうにすっくと立つ岩手山に挨拶をした。農場をぶらぶらした後、盛岡に戻り寿司屋に行くか焼肉屋に行くかしていた。翌日は南に下り花巻から遠野へ、ちょうど遠野祭りをやっているころで藪雨やさんさ踊りを見た後、釜石か宮古で海産物を食べて泊まった。そこからは三陸鉄道で久慈方面に出て琥珀を探したりウミネコに会ったり、はたまた海のアルプスを周遊したりした。その晩は八戸に泊まり美味い魚に旨い酒飲んだ。また行こうと思う、40年のリピーター。
nice!(0)  コメント(0) 

麦わら帽子 [心象のスケッチ]

麦わら帽子は脇役だけど夏の匂いに晒されて
僕らの思い出の中に映り込む
古くは西条八十の碓氷越えの詩で
吉田拓郎の夏休みでは消えた少年時代の夏
ワンピースではルフィのトレードマーク
あいみょんのマリーゴールドでは
ちょっと夏をまとった女の子
私にとっては川に魚取りに行く時の大事な仲間
9月の海辺の風に転がる麦わら帽子
秋は確かにここにいるけどさようならは言わない

nice!(0)  コメント(0) 
前の10件 | -

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。