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昔の駅弁の思い出③ [旅]

30年以上昔の話で、日本の国鉄を旅していた時のお話、青春18きっぷがのびのびなんてサブタイトルついていた頃。停車時間が長い各駅停車は駅弁を食べたりするのにちょうどよい。山陰本線なんて1時間以上停車していたりした。山陰本線では昔浜田駅にサバずしがあってこれも何度かお世話になった。鯖寿司と言えば米子の吾左衛門寿司だけど、こっちの方が先輩格だった。出雲市駅にも割り子蕎麦の弁当があった。弁当ではないがあごの焼き(ちくわ)をビールのあてに飲んでいた。山陰本線そのものではないが山口線の津和野駅にはつわぶき弁当と言うのもあった、新見線の津山にはたきごみ弁当もあった、シイタケのうまみが詰まった様な弁当だった。
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どうして昭和の日? [思い出]

明治の日も大正の日も平成の日もないのになぜ昭和の日があるのか。(とりあえず11月3日は明治の日と呼んでいない)昭和が一番長かったから、戦争に負けたから、主権在民になったから、いろいろなエポックメイキングがあったことは確かでしょうけれど。一時みどりの日などというものにもなったが結局昭和の日に落ち着いた。GWを形成する重要な休日であったと言うのも大きな理由だろう。たしかにこの1日は連休の初めになったりするから重要だ。昭和天皇そのもの評価は分かれるだろうが明治憲法にもない聖断というもので終戦に踏み切ったのは最大の功績だろう。開戦の時は報告を受けてそうであるか程度しか言っていない。持論としても君主論は君臨すれども統治せずに近かったのだろうし、軍の統帥権も実質自分ではないことは承知していただろう。何はともあれGW突入ゆっくりしようか。
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藤の花房 [思い出]

家の近くの川の崖っぷちから水面の方まで大きな藤の木が垂れ下がっていた。このころになると上から下まで薄紫の花房がたれ甘い匂いが辺りじゅうを満たしていた。あの香りは何とも言い難い甘さ、よく私はファンタグレープの香りに感じていた。実家の家の近くには親父が植えた白藤があって今でも花を咲かしてハナバチがしきりにやってくるらしい。藤の花と言うと正岡子規の歌を思い出してしまう。動けなくなり死期を悟った子規が
瓶にさす藤の花ぶさ一ふさはかさねし書ふみの上に垂れたり
瓶にさす藤の花ぶさみじかければたゝみの上にとどかざりけり
と呼んだ藤の花、けれどもここには香りについての記載がない。勝手にカリエスだった子規は嗅覚がなかったのかな、などと思ってしまう。
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命なんて [世捨て人]

故郷の川に高い橋がある、子供たちは度胸試しのために欄干の上を歩いていた。私は臆病だったし体幹が弱いので絶対歩かなかった。だけど低い鉄棒の上をひょいひょいとあるいていた。40mもある崖を藤の弦につかまって登ったり下りたりした。自転車で斜めの土手を勢いつけて登ったりした、失敗してさかさまになったりもした。子供ってどうして愚かなんだろう、嘉門達夫の歌に「少年はいつの日もバカ」というのがあるが全くその通り。もしあの愚かな行いで死んでいたら、本当の馬鹿者。でも、きっとそんなことで命を落とした人も世の中にはいるのだろう。命なんて不思議なもの、表裏のコインのようで。
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恋の断罪 [思い出]

あたり前だけど、私にも若い頃があって厳しい選択をしなければいけない時があった。それは、自分の優柔不断さが引き起こしたものだった。まだ、子供だったのかもしれない、その程度のことだった、中学校を卒業するときに一人の女の子から手紙をもらい、何となくやり取りが続いていた。私は恋人だと言う意識はなかった、でも彼女はそう思っていた、時々会うようなこともあった。私はちょっと遠い学校へ行った、そして2年後彼女も同じ高校に来た。しかし、その時僕には恋人ができた、しかも彼女の同級生。これも、十分裏切り行為なのだろう、それ以来彼女の態度が変わった、ただしそれは私に対してではなく、私の恋人に対して。そんなことが続いた、私は恋人と別れることににした。結局、私は2人傷つけることになった。後悔というか自分のダメさ加減を重知らされた事件です。その後彼女とも会っていません。
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昔の駅弁の話②」 [旅]

今はあんまりなくなってしまたっが魚の頭もついた押しずしがよくあった。別府駅で売られていたえのは姿ずしはヤマメの押しずしで、山奥で養殖したもの(えのは=やまめ)を腹開きにして酢で〆て酢飯に乗せたもの、ちょっと酸っぱかったような気がする。アユ寿司は今でも人吉や園部で売られているが、(吉野口はまだあるのかな)延岡駅のあゆのかば焼き弁当はなくなってしまった。カニずしも豊岡だったかお好みカニずしというのがあってちらし風、巻物、押し寿司風の3種が入っていて、結構好きだった。山陰線や福知山線は意外と駅弁を売っていたので、篠山のぼたん飯なんかも手に入れた。園部は神戸の淡路屋さんがやっているらしいことは最近知った。淡路屋さんや姫路のまねきさんは研究熱心ですごいと思う。
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昔の駅弁の話① [旅]

私が学生時代に旅をしながらあちこちの駅弁を食べていたころ、好きな駅弁があった。高山本線の飛騨金山駅などで売られていた「飛騨の栗こわい」、栗のおこわのおむすびでこれが好きだった。たしかカブの漬物も入っていたような気がする。あと美濃太田だったか舟弁当という陶器の容器に入っていたものがあった。松茸だったような気がする、かけがみとか容器とかとっておけない直ぐ捨ててしまう。多治見のくろまめこわいも好きだったな。駅弁は東京駅の祭りや新大阪の専門店で地方のもの含めて買いやすくなったが、すでに消えたものに味があったな。
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足腰弱い [弱音]

本当に最近、何位もないような所で蹴躓くようになった。おっととっとと危うく何かにぶつかりそうになったり、バスの中で急停車で転んだりする。体幹がもともと弱いのに加えて手先足先の力が衰えている。しかも書痙の震えが止まらない、そしていろいろな薬を飲んでいるために余計な副作用がある。それでも、1000m程度の低い山にはよく登っていたが奥方が足を骨折して以来めっきり減った。そのため息切れや動悸が酷くなった、本当に胸が締め付けられるように痛くなる。鉄道会社主催のウオークラリーもここあまり年参加していない。休職中はリュックに15kgの重り入れて歩いていた、今はそんなことしたらすぐガタが来る。いい季節なんだから動こうよ、寝たきりが近付いているのを追い払わなきゃ。
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何処かへ行けるという事 [心象のスケッチ]

いつも何とも思わずに東へ西へ北へ南へ遊び回ってる。だけど、仕事辞めたらそんな余裕はない、おそらく収入は半減する。時間だけはあるから旅よりもっと安価な趣味を持たなければならない。今のヒスイも古墳群も旅費がかかる、陶芸をやりたいがこれも結構かかる。コロナで閉じ込められた時はお金を使えなかった、自由になってもお金がない。原点回帰の貧乏旅というのもあるか、夜行バスを使って、でも流石にこの歳で野宿は辛いけど。
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GWの予定 [旅]

毎年ウキウキしながらGWの予定を立てたものだが新型コロナ以来なんだか気が乗らない。それに、同じところに二回行かないと国内は行きつくした。と言って海外はバカ高い、とすれば人がいない所を探すとなると本当に稀有になる。この時期でも空いているのは四国、山陰、信州の白馬と伊那谷、新潟、福島の中通り、浜通り、山形、秋田、青森となる。関西に住んでいた時以来四国は久しく行っていない、山陰もそうだ。新潟と信州は毎年秋にも行っている、福島は会津や奥会津、只見、磐梯、白河やいわき、猫啼温泉などなど、山形も温海や酒田、蔵王、米沢、肘折、飯豊、上山などなど、青森も下北、八戸、十和田、浅虫、弘前、金木、十三湖、深浦など手を変え品を変え行った。そういえば秋田も男鹿半島、大舘、角館、秋田、横手、田沢湖、象潟などなど、よく考えたら空いているところは行ったことないところが残ってない。岩手とか宮城はGWは結構混む。さすればまた新潟かな、荒川峡は行っていないし、値段も高くない、だけど電車で行くのは大変だ。あさて今から宿が取れるかな?
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