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幻想夜行の最期 [心象のスケッチ]

こんな夜に夜行列車で遠くに行く夢を見た
夜行列車などもう存在しないはずなのに
たった一人で僕は硬い椅子に座っている
それはかつて何度も乗った妙高だった
ぼんやりと雪の降る街を見つめ
停車駅で買った温かいコーヒーをすする
やがて直江津の駅来ると方向が変わり
右側には海があるはずだ
糸魚川でおりて明けようとする鉛色の空の下
新雪を踏みしめながら海へ向かう
ほとばしる波頭の唸りを聞きながら
何かを捨てるために
戻らないものを愛するが故
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転生でも再生でもない [心象のスケッチ]

無に帰することを恐れてはいない
心だの思考だのは雲散霧消して
魂など存在はしない
だが確かなことは
わたしを構成した分子や原子は
またなにかしらの物質を形成する
それが輪廻や転生ではないが
何も無駄にはなっていない
それでいいではないか
無理をして再生の理屈をつける
そんな必要はないのだ
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君のこと [詩(うた)]

教室の隅でじっと座っている
何気なく目を向けると目があってしまう
でもすぐにうつむいてしまう
そんな君が気になって
音楽の授業の時思い切って隣に座った
僕は音楽のセンスはないから
下手な歌を思いっきり歌ってみた
君は隣で笑い転げた
それからやっと話ができるようになった
友達はあんな子と仲良くしてとか
もっといい人がいるだろうって
君のことを言うけれど
僕しかわからないことがある
それは帰り道で寄り添う時
見上げてくる君の泣きそうな顔
好きですかと尋ねる細い声
僕の胸がキュッとなる瞬間
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一つずつ一歩ずつ [心象のスケッチ]

祭りの後が寂しいのと同じように
待ちかねていたでき事が終わると
途端にこころがぼんやりする
みんなそうだと思うけれど
心に何か楽しみがあって
それを待つのも楽しくて
もちろん反対もあるけれど
一つ一つ超えてゆかなきゃ
生きて行けない
ジャンプして飛び越すわけにはいかない
一歩ずつ一つの想いを超えて行け
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泣いてみるか [世捨て人]

やりきれないよ
どうしてこんなに空しいんだろう
全体ががらんどう
雨もない風もない
星も月も何も見えない
一人で電車のドアに押し付けて
滲んだ街の明かりを見ている
我慢していたものが零れ落ちた
泣いてみるか
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経済学の話(つまらん話ですいません) [世捨て人]

ちょっと経済学の話、ある著名な経済学者が経済は創造的破壊によって成長する、それは企業のたゆまぬイノベーションによって引き起こされる。イノベーションのない企業は退場を余儀なくされる。そして今の経済学者はだから、それを阻害するような要因は排除されるべきである、政策によって生き永らえさせるべきではない。日本の失われた20年で失敗したのはこういったゾンビ企業を生き残らせたためだ。だけどゾンビから抜け出した企業もある、すべての理論には例外があるということだ。もしかしたら、イノベーションとは例外を作ることかもしれない。中国などはゾンビ企業だらけだがすべてが停滞しているわけではない、もちろん大多数のゾンビ企業には退場させないと伝染病(連鎖倒産など)の素になるだろう。また、企業の創造的破壊を促進するには信用創造が必要なわけで、そこには金融機関特に銀行の果たす役割は大きかった。なぜ過去形かと言うと今は仮想通貨による信用創造が可能となった、またクラウドファンデイングなどの直接信用も可能である。ここに及んで銀行は役目を終える、とそんな簡単ではない銀行自体が仮想通貨に参入したり想像したりする。日本でも創造的破壊は起きている。ただ、それはメルカリやZOZO、SKYと言った企業ではない、成功したとみられるこれら企業も決して創造的破壊ではない。従来のビジネスモデルを仮想空間上に置き換えただけに見える、仮想空間を創造したわけではない。さて最初の経済学者が言ったことは続きがある、資本主義は巨大化した企業による独占とその官僚により社会主義へ向かうと、資本主義の究極の姿が社会主義であると。それは警告も含めて。
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縄文人のように [双極性障害Ⅱ]

うちの嫁さんに昔の話をすると貧乏自慢していると言われる。どこに貧乏を自慢できる奴がいるのか、それはみな今はいい時代になったなと言うわけです。赤貧洗うがごとし、その日のお米がない、隣が精米所だったのでお米を借りてあるものを探して食べる。ご飯を増やすためのおじやだった、醤油で味付けして田圃でとった芹は苦くて臭かった、そこに菜っ葉のみじん切りが入ったものだった。すこしましになってくると家で作ったシイタケが入るようになる。お米がなければ団子汁に菜っ葉と大根、里芋が入ればごちそうだった。麦こがし(こうせん)やそばがきもよく出た。牛の餌用の大麦を煮たのをこっそり食ったこともあった。じゃがいも、サツマイモは少しの畑でもできるので私が畑の手伝いができるようになると割合が増えた。じゃがいもはでっかいまま醤油で煮た、サツマイモは汁のみやご飯に炊きこんだりした。山菜は定番で春母語馳走、土筆、フキノトウ、蕨、ゼンマイ、タラの芽、ウド、ノビル、ユキノシタ、山椒やクレソン、タケノコ(孟宗、真竹、破竹など)だ。秋にはむかごや山芋、山栗、くるみなどもご飯に混ぜた。山を歩くことは食べ物を探すことと同意義だった。でも、今の人にはかえって新鮮かもしれない、罠で狩りもしたし狩猟採集生活だから、もしかしたら縄文人だったのかな。
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旅のついで [旅]

旅のお供と言えばビールにおつまみ、お弁当が思い浮かぶが、私の場合はそれにお菓子が付く。特に和菓子には目がないので和菓子屋の前を素通りできない。しかも、入ったら何か買わないと申し訳ないのでそこしかない、または季節のお菓子を買ってしまう。今の時期だと花びら餅かあのごぼうの味と匂いが時節を引き立てる。練りきりの菜の花や鹿の子もいい、梅の花を模したものも捨てがたい。粒あんを茶饅頭で包んだちょっと倉敷銘菓のむら雀のようなものもいい。店頭で食べるとお茶を入れてくれ店も多い、そんな気遣いをいただきながら。羊羹も練りだけでなく栗や梅、抹茶などを電車の中でひと棹食べてしまうこともあった。無人駅で降りてひだまりでお茶とお菓子で野点の気分だけ味わうのもいいではないか。城下町や宿場町ならほぼ必ず和菓子屋がある、しかも老舗の。これも旅の楽しみ、ついでの喜び。
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干からびた思い出 [思い出]

最近思い出の記事が多いのは頭の劣化が進んでいる証拠だと思う。

部活の帰り道冬の日はとっぷり暮れて
木枯らしが吹きっさらしの田んぼの中の一本道を
早く帰れと追いたてる
君の白いマフラーがなびいている
僕を風よけにしようと君が回り込む
僕は笑って君を見ている
何を話したのかは覚えていない
ただ僕の顔を覗き込んで笑った君の顔を覚えている
すべてのことを消し去るほどの愛らしさを
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さよなら友よ、さよなら思い出の駅よ [思い出]

今年もまた古い友人が一人鬼籍に入った。田舎に帰ったときにまた一人亡くなったと聞いた。これからこうしてまた一人と減ってゆく、そのうち私もその一人となる。ふるさとの小さな駅を思い出した、私がいたころは学生たちのさざめきにあふれていた。里帰りの時に下りてみれば一人きり。あのころのことは鮮明に覚えているのに駅も駅前も木枯らしが吹きすぎる。帰りに寄っていた雑貨屋も店を閉じたまま時の流れにさらされて霞んでいる。広い駐車場にも車はなく駐輪場に自転車もない。時が凍り付いて壊れてしまったような駅の名は牧口だった、今は豊後清川と言う、そこにある思い出の故郷。この駅もやがて消えるのだろうか、私が消える前に。
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