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戦いが終わった日 [思い出]

私は戦争は知らない、だが私の父は戦争に行っていた。陸軍の下士官、砲兵だった。いた場所は台湾、台湾はそれほど大きな戦闘もなく、引き上げの時も中国大陸より状況は良かった。引き揚げてからも実家が大きな農家だったので、農地改革があるまでは食料に事欠くことはなかったと聞いた。台湾時代は高射砲陣地にいて米軍の空襲に応戦したようだ。だが、爆撃機は高度が高く届かなかった、戦闘機は小さすぎてなかなか当たらなかったらしい。終わりごろになると装甲列車で台北から高雄まで護衛を兼ねて乗っていたらしい。米軍の機銃掃射に何度かあったがかすり傷で幸い済んだらしい。あの時父がいたのが沖縄だったら私はいまいないだろう。また、米軍が台湾に先に侵攻しても同じだったかもしれない。父は玉音放送を台湾総督府で聞いたらしい、聞きづらくてよくわからなかったが、戦争が終わったと言うことだけわかったようだ。呆然としながらも体から力が抜けへたり込んでしまったそうだ。同郷で招集された知り合いは南太平洋やフィリピンで戦死していたことを引き上げてから聞いたそうだ。爺さんから聞いたシベリア出兵の話のほうが酷く感じたのは寒さと飢えのせいかもしれない。
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