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極貧時代 [思い出]

極貧と言っても今のフリーターよりはましだったかもしれない。家は父がサラリーマンと農業、母は近所の農家に手伝いに行っていた。子供は5人、私は末っ子だった。小さいころから他所の農家の手伝いをしながらお金をもらっていた。長男は東京私立大学、長女は東京で看護学校、次女は京都の短大、次男は高校生(のちに兄と同じ東京の私大)、私が中学生。とにかく仕送りで家計が真っ赤、私と次兄は二人ともバイトに明け暮れた(半分は家計のため、残りは自分たちの小遣い)、自分の処で米を作っているが出荷したほうが高いので米は買っていた。それでも、米を買うお金がない、これ以上つけもできない。(昔はツケができたのです)そんな時は川に行ってすいとんと魚をつかまえる。米があるときはかさましの雑炊、芋、麦など。麦も押し麦ではない、大麦そのもの。陸稲もよく食べました、今ではほとんど見ないです。学校の授業料や給食費が払えない月もありました。おもちゃを買ってもらったことは一度もありません、服はおさがりがほとんど、兄弟だけでなく近所のお兄さんのもありました。冷蔵庫がなくて恥ずかしかったです、練炭炬燵でしたし、五右衛門ぶろを焚くのは子供の仕事でした、駅にあった貯炭場の石炭をこっそり持ち帰ったり、線路に落ちている石炭も拾って帰りました。でも、実際には周りも貧乏だったので自分たちを極貧だと思うことはありませんでした。それが救いです。
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