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慈しむ心を [世捨て人]

DVや虐待はなぜ起こるのだろう。人が啼いたりするのを気持ちがいいと思う心が理解できない。どんなに嫌いな人でも不幸になれとは思わない。危害を与えられいろいろな後遺症が残ってそれ相応の苦労はしたがだからといってその人に死ねとは言わない。心が決して強くも無ければ広くもない、だけど人の苦労や災難をほっては置けないのは誰だってそうだろう。自分よりも他を愛することは時に有ってもいいのではないだろうか、絶対に人のために損をするのは嫌だという人も時々いる。だが、子供のため親のためにはどうだろう、血縁者と他人は違う、何が違うのかDNAかそれとも一緒に居た時間だろうか?それは大して意味を持たないのではないか、血族など偶然の産物。人に対して気を使っているという人物ほど我儘だったりする、それは気を使っていると言う自分が全ての基準だから当たり前だ。どこに居ても慈しむ心これは忘れない、心が自分の都合のよう方向に流れそうになったら。
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