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弥生の空に [心象のスケッチ]

まだ花は満開には少し時間があるようだ
誰もが少し浮足立って
昨日のさよならを忘れようとしている
それでも白い空を見上げて
浮かんでは消える人の姿
もしかしたら二度と会うことがない
そんなこと考えたら
沢山メールをしてみたくなった
花が咲いたら見に行こう

ただあの人にはやっぱり送れなかった
誰かが送ってくれると願いつつ
花よそれまで散らないで
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手術のこと、入院のこと① [思い出]

僕が救急車でその病院に搬送されたのは事故から半日後だった。最初に運び込まれた病院でレントゲンを見た医師がこれはここではできないと言ったからだった、そのレントゲン写真では脛骨はひざ下3センチほどで骨折して腓骨は中央部で骨折していた。どちらも筋肉の収縮で大きくずれて上方に移動していた。その医師は本当は別の大きな病院の医師でその日はその病院で診察をしていた。そして50km離れた病院へ転院が決まり、救急車で運ばれた、車が跳ねるたびに痛いと叫んでいたらしい。しかし大病院というのは名前だけ、まるで野戦病院のように12人部屋に送られた。そこで最初の処置として折れた足が萎縮しているのを牽引で伸ばそうと言うことだった。牽引と言って何をするか、かかとにドリルで穴をあけて太い針金を入れて両サイドに紐を結んで滑車で砂袋をかけて引っ張る。これがまた痛いから大声で叫んだらしい。そして、ふくらはぎの腫れが異常だったので減張手術をしたがそれでも腫れが引かない。これはおかしいと血管造影したら足の動脈が損傷していた。そこから急にあたふたと手術室に連れていかれ、あっという間に眠らされて気が付けばベットの上、薄暗い部屋には両親がじっと見つめてた。そして部屋も4人部屋に変わっていた。手術室に入ったのが確か朝の11時、今の時間は夜の3時あとで婦長さんに聞いたら手術室から出たのは夜の12時ごろで両親はずっと待っていてくれたらしい。骨折の手術でなんでここまで13時間もかかるのだろう、これも後で医師から聞いたのが、まず緊急オペだったのであまり事前に計画を立てられなかったこと、そして動脈損傷部分を人工血管にするかどうか迷ったこと、結局まだ若いので人工血管ではなく静脈を切り取って裏返しにしてつなぐことにしたこと。ふくらはぎの壊死が予想以上に進んでいたため筋肉組織の除去をしたこと。その部分を覆うために植皮を実施、逆の足の大腿部から尻にかけての皮膚を取った。膝関節から骨折箇所が近く半月板が破砕されていたのでそれを除去したこと。プレート、ボルトで固定する手術の開口部が外傷個所と重なっていた事。そんなこんなで長時間の手術になってしまったらしい。

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