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花はやは [心象のスケッチ]

桜を愛でながら思うのはなぜこんなに艶やかに咲くものなのか。今は桜と言えばソメイヨシノだが、うた読みの心を動かし江戸の民を熱狂させたのはソメイヨシノではない。山の奥に咲く赤い葉と薄い桃色の山桜だったり、あるいは真っ白な大ぶりの花が咲く大島桜、小ぶりなピンクのエドヒガンなどだっただろう。いにしへの寧楽の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな(伊勢)の時代にもすでに八重桜があった、今のピンクの大ぶりな八重桜とは違うのではないかと思う。八重桜は品種ではなく総称なので掛け合わせなどで多くの種類があるようだ。造幣局の通り抜けが有名だが、故郷には烏帽子岳というところに800本のボタン桜があって一度行ったことがある、桜より派手な色合いで花も大きく見ごたえはある。だが、散る桜のあの風情は残念ながらない。その昔は花と言えば梅だったがいつのまにか桜になった、宮中も左近の梅、右近の橘だった、しかし梅は桜にとって代わられた、それもわかる気がする、しかし橘と香りを競い合うなら梅のままでよかったかもしれない。なににせよ桜というものは憎きものよ、人の心をやきもきさせて。
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