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河津桜 [旅]

最初に河津桜を見たのはいつだったか、多分学生アルバイトでとある旅行会社で伊豆の温泉に行った時だ。川の横が季節外れの桜色に染まってあまりにも綺麗だった、その時に初めて知った。沖縄の緋寒桜は何度か見たが似て非なるもので、花は小ぶりだが色味は強く、さらにすぐには散らない。そして、そのころもう30年以上も前になるか、あちこちに移植されていったようだ。北総公園の中に20年くらいの木が二本ある、同じく近所の団地の中に数本あって早花見ができる。インスタ映えする艶やかさだが、他の桜が寂しく見えてしまうのであまり増やして欲しくない。ソメイヨシノもそうだがいつのまにか桜の代名詞になっている。ヤマザクラやオオシマザクラ、エドヒガン、サトザクラのような昔から大切にされてきた桜も忘れないで。
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そうして生きて行く [双極性障害Ⅱ]

忌々しい経験も過ぎてしまえば思い出になる。確かにそうだけど、誰かを傷つけてしまったときの悔恨は消えない。自分の傷はどうにでもなる、そう思わない人もいる。たまに、ほんのたまにだけど自分が傷ついたことは誰かを代償にしないと収まらない人がいることもある。そういう人になにを言っても無駄なこと、頭の構造がそうなっている、他人に利することや自分が損をすることは許さない。あまりにも小さい了見だけどそうやって生きてきたようで変えようがない。それでも、愛する家族などにはちゃんと愛情を注ぐ。自分が好きか嫌いかそれが判断基準の9割以上を占めている。当然自分のことが大好きだから。もしかしたら私も自分のことが大好きだから傷ついても自分を裏切りたくないのかもおしれない、自分の自分を律するところが確かに好きだ。ADHAや双極性障害でわがままで勝手な奴と言われたことがトラウマになり一種の認知行動療法として極限まで自分を抑えて耐えることを選択している。そしてそんな自分をいとしく思う、恐らくそうなんだろう、馬鹿げているかな、でもこれで生きて行く。
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世の中をうしと [世捨て人]

いろいろなことがある世の中は好む好まざるを関係なく漂うことになる。生まれてしまえば悲しみは必ずあるもの、運命から人は逃れる術を持たない。だけど、そんなことは関係なく、遊びをせんとや生まれけん、言った法皇もいた。冒頭の憶良のうたのように泣きわめいてもどうしようもないものという悲しみもあった。世の中をうしとやさしと思えども飛び立ちかねつ鳥にしあらば、そうなんだよな、世の中は、そういえば世の中で始まるうたは多いな。世の中に堪えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし、世の中に道こそなけれ思いる山の奥にも鹿ぞなくなる、皆いろいろ浮世に想いを馳せて。
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僕の忘れ物 [詩(うた)]

それぞれの時代に必ず何かの忘れ物をしてきた
小学校に上がる前にはバイクにはねられ頭を縫った
小学校時代には落ち着きがなくいたずらが酷くて
遊んではいけない子と呼ばれた
中学校時代は仲の良かった友人についた嘘が
僕を全校中の仲間はずれにした
高校時代はバイクで車と衝突して
半年以上の入院と留年を喫した
受験で東京志望だったのに関西と地方の国立しか合格できず
一浪して東京の大学に入ったが国立は落ちた
大学時代は放浪癖のために試験を受けなかった
当たり前だが1年留年した
会社に入って双極性障害を発症して
通院していたが悪化して1年半休職をした
必ずどこかで躓いて何か忘れ物をしてきた
これからもまだあるのだろう
それを後悔しても仕方があるまい
僕が自分で起こした事象の結果だから
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バレンタインデーって相当昔? [思い出]

私が小学生の頃、すでにチョコレートを贈ると言うのがあった。ということは半世紀上続いている風習なのだ。ただ、保育園の頃にはなかったような気がする、小学校くらいから男の子はドキドキ、女の子はソワソワする日になったと思う。中学高校辺りでは当たり前のようになった、前にも書いた通り、私には高校2年生になるまでは関係ない日だった。どっちかと言えばドキドキする日ではなく憂鬱な日だった、だって人気がないのが如実に表れる日なのだから、酷です。NHKのみんなのうたにバレンタインデーを歌ったものがあるけど、結構その通りだったりする。高校生からもらええるようになったけれど、一遍に沢山もらったことはない。そんな気分だけでもいちど感じてみたかったかも、本命があればいいじゃないと言われるけれど。
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梅花の誓い [詩(うた)]

家を出た瞬間から
僕の身を包んだのは甘酸っぱい香り
早朝の凛とした空気の中で
僕は大きく息を吸い込んだ
あとどれくらいでこの町から消えてしまう
そればかり考えていた
家を出て何時もと同じ駅から
高校へ向かう上り列車ではなく
下り列車に乗る日が近ずいている

駅前の公園にある白梅が散る頃には一方通行の旅に出る
この香りのもう一つ持ち主とまた会う約束など守れない
勝手かもしれないけど故郷を捨てる勇気を忍ばせて

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回復せず [双極性障害Ⅱ]

僕が僕であるために、勝ち続けなきゃならない、そんなことはない。自分を通すために闘いをしたりはしない、勝ったとしても面白くも何ともない。ずっと疑問だったのは運動部に所属して試合をするのに勝って嬉しくもない自分がいる事。スポーツなどの闘争は勝つためのアドレナリンと勝った後のドーパミンのために行うはず、そしてそれは遺伝子に刻まれた進化の記憶のはずだった。それを放棄して生きているのは精神的に何かが足りないのか、多分脳のどこかの部分が働いていないのではないだろうか。それが子供の時からのある種の障害の根源なのかもしれない。とにかく、一度ちゃんと調べてみたい、また自分を構成する性格のパーツのモザイクを。
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小春日の続く [旅]

小春日は続いたらもうそりゃ春だ、電車の窓から見える景色は菜の花と水仙。甘い香りが車内で弾けていた。反対側の窓からは覇気のない海がべったりべったりと寄せている。すれ違いのための停車するから小さな駅に降りて缶コーヒーを買った。どうも厳しさが足りない、どうも冬らしくない。別に春を探しに来た訳じゃない。どこもここもあくびだらけで心のトゲを尖らせてくれない。結局は終点まで来て、ローカル線に乗り換えて山に向かう。何を得る事もなく小さな城下町で降りて城跡で途中で買った大福を食べた。1日かけてそれだけのことだった。
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今日はダルオモ [双極性障害Ⅱ]

無気力の神さまに捕らえられた。じっとしているのに汗をかいて眼の奥がツーンとする。涙さえ出てくる始末、今日はこれ以上書けません 。
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背中が泣いていた [世捨て人]

若くして夫をなくした人は気丈に喪主を務めていた
結婚してまだ数年こんな日を想像していたはずはない
誰もが言葉をなくし彼女を見つめていた
白木の棺の中のあいつは何も語らない
花の中に埋もれてわらいをうかべたまま
最後の別れの時棺を担いだ私たちに
お礼を言うその人は少し唇をかみしめて
ありがとうございますと言って後ろを向いた
その背中は震えていた
過ぎ去った日々と過ぎて欲しいこの時
何もかもが揺さぶり過ぎて
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