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恋人よ今はもう [詩(うた)]

私は若さを失いあなたは時を失った
今は丘の上の小さな碑が全てを知っている
あれから私はいくつかの出会いを経験した
けれども心はこの丘の前で膝まづいたまま
歩き出そうとはしなかった
記憶とは残酷なもの
それを所有する者を縛り付ける
私はここから歩き出さなければならない
それが甘美で美しい思い出との決別を意味するとしても
私がもう一度私であるために
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野良猫がいない公園 [思い出]

あれほどいて問題となっていた公園の野良猫が全く居なくなってしまった。人形町や浅草橋には全く消えた、保護されたのだろうか、地域猫としてもいない。家のある千葉ニュータウンでは完全に消えた。住宅地の路地には家猫がいるがそれも減った。迷惑もかけるし問題も多いから保護して処分しないならそれで良い。野良猫の寿命は短い、少しでも生きてくれるなら。でも、なんだかやっぱり寂しい、野良猫と目が合って、お互いにオウ生きてるぜ、てな会話するのが出来ないなんて残念。
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地獄街道 [世捨て人]

真夜中の住宅地、向こうのほうから青白い光がちらついて何かがやってきた。私は何とも言えない寒気と覆いかぶされるような不安を感じた。そして私のほうへ近づいてくる、私は思わず道を開けた。目の前を通って行ったのは死者を乗せる馬車だった。御者の鬼がちらりと私を見て笑った、今度はお前を迎えに来るとでもいうように。それはほんの一瞬の出来事だった、だがこれ以降、たびたび死者の車に出会うようになった。この世にはどこかの地獄に通じる死者の街道があってたまたまそこに行き当たるとこのような光景を見るようだ。この車に触れるといっしょに連れていかれるらしい。確かに引き寄せられそうなことがある。
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きっとそうだった [詩(うた)]

牧草地に雲の影を映して
光あふれる季節が来たと
子供たちが遊んでいる
牛たちは草を食みながら
時折顔を上げて子供たちを見ている
草っ原を転がれば
草の匂いに包まれる
あれはまた十歳にもならないころ
風も光も空も木もみんな私の友達で
どれにだって染まりそうだった
きっとみんなが私でわたしがみんなで
溶け合っていた時間だった
きっとそうだったと思います
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体幹の弱い男 [世捨て人]

体幹という言葉ほど私にとってつらい言葉はない。子供のころから体幹が弱くすぐふらふらするし組体操など苦手中の苦手だった、それでも何とかなったのだが、筋肉の付き方が右側によっているのか走っていいても水泳でも自転車に乗っていても右のほうに寄って行く。そんなんだから事故も回避できなかったのではないだろうか。そして事故にあって前進の筋肉がおちたら、さらに悪化して歩くのさえまっすぐ歩けない、そんな馬鹿なと思うけれども右に寄っていく。悪い右足のほうがける力が弱いので強い左足が勝ってしむのではないだろうか。でも今更鍛えようとは思はないけれど。
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やっぱり私を知りませんね [詩(うた)]

もう夢を語れる歳ではない
そんなもの元々ありはしない
二度も三度も転んでは起きた
大きく道を外れたこともある
小さな悪を行う勇気もない
小さな善を施す余裕もない
雨に打たれれば涙を流してごまかし
風に吹かれれば顔を隠してごまかす
重い荷物は捨てきれず
野辺に咲く花に目を留めて
拳の中に空虚を詰めて
まだまだ歩き続けます

今まで生きていることを隠してきました
隅っこで何かを抱きしめて
多分これからも変わらないと思います
誰か私を知りませんか
やっぱり誰も知りませんでした

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父母忌 [思い出]

もう桜はすっかり散ってしまったが、4月の始めは両親供の銘にだった。自分もなんだか腕の色が妙に茶色になってきた、反対側はやたら黄色い。黄疸?なんてことはない、ちゃんと白目は白いし爪の下も抑えても黄色くならない。おふくろが大腸がんであちこちに転移したころはもう全身黄色だった。それに気が付いてやれなかった自分が悲しい、骨や肺や脳や肝臓まで転移していて気が付いたときにはもう声も出ないような症状だった。2年ほど里帰りをしなかったが返す返す残念だ。よく電話をかけてきたり物を送って来たりしてくれたが適当にお礼を言ってあまり話もしなかった。本当に親不孝な息子だったと思う、父親の時にはちょくちょく帰って顔を見せていたがやはり2年ほどあいたときに膀胱がんが見つかった。90歳を超えていたので手術は出来なかったが2年ほど頑張った。今でも夫婦そろって夢に出る、笑うか怒るかどちらかだったが、今となっては遥かな夢だ。昔を思うような年齢に自分もなったな、春の陽光ののどかな中に花散るを見ればはるか昔を思い出す。
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私は普通の会社員である、かな? [世捨て人]

言うより動けか、全くそうだと思うけれど、なかなかできない。運動のことだけでなく仕事だって対人関係だって。けれど、拙速に動きすぎると大きな失敗をすることがある。行動力があるのはいいことばかりではない、よく’あいつは傍観者で反対ばかりする、今はみんなで一つの目標に向かって進む時だ!’などと言う人がいる。また’座して死を待つより自分から動くべきだ’とも言う。かっこいい言葉だ、けれど本当に座していたら死ぬのかと言う根拠が浅いことも多い、そしてそう言う人が出す対処法は薄い。打って出ると言いながら意気込みだけで精々市場調査程度しかしていない。私もPJをいくつも手掛けたことがあるが全く誰もいない分野を作って勝負するのはほぼあり得ない。ライバルとの競争力と資金力、製品力が8割で情熱や人員は2割あればいい。他の会社のことはわからないが私程度だと市場分析の次はライバルの分析がスタートでした。ライバル分析の中身は市場における認知度、信頼性、実シェアー、社内でのその分野の位置づけ、資金力(販促費)などはもちろん、価格弾性、クレームの数・質、利益率、製造に係る変動費固定費、減価償却率・・・などを調べる。何をどのように使うかは言えませんが。最初からやることを前提にすると前のめりになって何かを見落としがちです。
あ、なんだか普通のサラリーマンみたいですね。
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私は私を笑顔にできますか [詩(うた)]

なかなか笑える日が来ないね

そう言えば心から笑ったのはどれくらい前だろう
もう覚えていない暗い昔だ
感動で泣くことはちょくちょくあるのに
どうして笑えることがないのだろう
わたしの心はそう言うふうに固まってしまったのか
酷くつまらない酷く悲しい真実だ

いつも心のどこかにじめじめした雲のようなものがかかり
それが胸の中でのたうちまわっている
そいつが呼吸困難を引き起こして
鼻の奥がツンとして涙を引っ張り出す
悲しいよ辛いよ痛いよ
私は病気でしょうか
どんな病気でしょうか
明日もここにいられますか
私は私を笑顔にできますか
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入院患者の病気自慢 [世捨て人]

結構なんども入院していると入院患者の人間模様がいろいろ考えさせられる。不思議なもので患者は自分がいかに大変かをアピールする人が多い。その理由の中に分かったことっがある。まずは’かまってチャン’看護師さんにいろいろ要求を出す、痛い痛いと言う、ナースコールを何度も押す。次に分かったことは自分の方が重傷だたとして他の患者に対して優位に立とうとする(なんで重症の方が優位なのか、医者看護師はまず自分の所に来るべきだ。なんだかすごく子供じみて悲しいのだが病院と言う特殊な環境がそうさせるのだろうか。私の場合最初の半年入院は事故なので後遺症は残っても死にはしないとわかっていた、リハビリは痛くても明日には少し前進できたから症状自慢はしなかった。その後の入院も生活習慣病などで病気自慢は出来ないものばかりだった、今思えば大騒ぎする人が多いのは外科や整形外科だった気がする。確かに切られるのは痛いが肉腫などを除けば治るものが多い、骨折位で痛いからとみっともない大騒ぎは恥ずかしい、まあ痛いのはわかるけどね。
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