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望みなき [詩(うた)]

望みなきこの身に思う世の人の皆に憂きことのなく幸多かれと

もうこの年になって限界が見えてくると自分の幸福とか祈っても仕方がない気がする。そこそこ生きて何となく死を迎える。それでもいい、まわりにはまだ世俗的な名誉や地位を求める人もいる、それそれでいいんだろう、そういう人が私で蹴躓いて思い通りにならなかったと恨まれる。私の方は本当はいい迷惑なんだろうけれど、そう言われるのも嫌だから道から外れて躓かないようにする。私は持って生まれた正確ではないにしろでしゃばりだしつい、誰もやらないなら私がやります、と言ってしまっていた、ただ余禄でやっているので評価の対象から外してくださいと。正直言ってカッコをつけていたんだろうと思う、何かを餌にされると途端にやる気をなくしてしまうという性格もあった。実際にそれが評価されたかどうかはわからない、評価に興味がない。昔の社長曰くよくわからん奴だな、もしかしたらそれが一番言ってほしい評価かもしれない。自分の価値は大したことはない、それ杯分が一番よくわかっているのだから。

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駅で寝るのはどうかな [旅]

野宿ではないけれど駅舎の中で泊ったことが何度かあった。以前は伊那大島のことは書いたと思う。それ以外にも、急行ちくまがあったころの松本駅、急行アルプスがあったころの南小谷など、どこも冬で外では寝られない、駅舎の中でも寒いのでダウンジャケットとジーンズの中に新聞紙を仕込んで仮眠した。それでも寒くて死ぬんじゃないかなんて思ったりした。自販機の缶コーヒーで暖を取ったものだった。夜が明けると近くに朝からやっている公衆浴場があればそこに飛び込むと体が溶けるほど気持ちが良かった。こんなことを何度かやっていると不審者と間違えられるか、親切な人に家に来なさいと言われることもあった。野良犬に襲われそうになったり、野良猫が添い寝してくれたり、いろんなことがあった。自殺志願者と間違えられたことも、親父狩りには会わなかったが。若いからできたんだと思う、お金もなかったからも大きいが。
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野宿は怖いよ [旅]

学生のとき電車やバスで日本中回っていた時のこと、大糸線の最終で糸魚川についたがお金がもったいないので糸魚川駅で寝てようと思った、当時は新幹線がまだ通っていなかったので急行きたぐにや能登など遅い便があるからと駅の待合室で寝ていた。そうしたら、冷房が切れて蒸し暑くなってきたので外へ出てヒスイ海岸の地下通路で寝ていた。すこしづつ雨が降ってきたのでちょうどいいと思っていたが、突然、雷鳴が鳴り響きものすごい音で雨が降り始めた。ここにいればいいと思っていたが止む気配がない、そのうち国道側の入り口からどどどと雨が入ってきた。そのまま、水はどんどん流れてくる、反対側に逃げようにも海岸に出るだけで逃げ場所もない。地下道の壁にしがみついて雨が去るのを待った。やがて何もなかったように雨は過ぎ去った、この時この地下道は片方が段差がないから、雨がたまらなかったけれど、普通の地下道のように両出口側が高くなっていたら、私は終わっていたかもしれない。野宿で怖かったことでした。
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駅弁放浪記 [旅]

いろいろな駅に駅弁があった時代それを求めてあちこち行った。予約制と言えば今は結構あるが昔は関西本線亀山の時雨茶漬けだった。ハマグリの時雨煮とそのエキスにお茶を買って食べる、とても珍しいものだった。関西本線は三重県側から奈良駅まではローカル線で特に柘植より西は風光明媚で今在家信号所のスイッチバックも名物で優等列車も急行かすがしかなかった。そういえば奈良駅には柿の葉寿司以外におでん弁当と言うのもあった。三重県の紀勢本線松坂駅では松坂牛の弁当があった、特急の中で注文を取りに来る形式が新しかった。ローカル線ではないが新幹線米原駅の湖北のお話という弁当があった。もしかしたら今でもあるのかもしれない、唐草模様の掛け紙ではなくかけ布を開けると、おこわと共に近江の国のカモやモロコやいろんなものが入っており、私の好きな駅弁の一つだ。最近は米原で降りることがない、ここから特急で福井や小浜の方までちょくちょく行った。福井から三国港や越前大野、以前は永平寺までも京福電車が延びていた。たまには西へ向かうのもいいか。
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たばこと言う作物 [思い出]

小さいころ祖父はタバコの栽培をしていた。ビニールハウスにペーパーポットの苗を育てそれを畑に植え付ける。ただ畑に植え付けるのではなくまず畝を作り黒いビニールシートで地面を覆う。そして、燻蒸剤(クロルピクリンだったかな)で土の殺菌を行う。そしてはさみのような器具でペーパーポットの苗を植えその上にまた黒いビニールでトンネルを作る。(ここで燻蒸したのかも)、そのあと大きくなって霜の心配がなくなるとトンネルを外す。そして大きくなってある程度葉っぱが収穫に良い大きさになると下の方から収穫する。この間に当時の専売公社の人が来てなんだか畑の横に紙をつけた棒を立てていく。どうやら、タバコの密売を防ぐためだという話だが、本当だったのか今はわからない。さてタバコの収穫だが今はどうするのか知らないが昔は素手で摘み取っていた、ものすごい量の透明な液体が出て手が固まって動かないほどだった。しかも匂いが凄いうえちょっとでも残っていると苦い、こびるという食事のとき必死で洗うか、ラップで取るかした。この葉っぱを大きさ別に金属の網、いや網ではない挟むものに挟んで乾燥場に持ってゆく。そして、重油ボイラーで乾燥したものを専売公社の季節工場に持ち込んだ。当時は換金作物としてはNo1がたばこでした。でも、あれをやっているとタバコは吸わないな。
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白いバラのように [詩(うた)]

その白さはまるで雪のよう
すらりと伸びた手足に小さい顔
少しウェーブのかかった黒髪
そばにいるだけで負けてしまいそう
切れ長の目に赤い唇
まるで絵本の白雪姫
どうしてこんなに近くにいるんだろう
僕が好きだと言ったわけでもないのに
手を伸ばして髪に触れば
覗き込む顔に照れてしまう
ほんのわずかの時間だけ一緒にいたね
僕は何も言わずに都会へ飛び出した
目をつぶれば今も君が見える
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あなたのために [詩(うた)]

今こうしている間にも
あなたは僕から離れてゆく
ちいさな病室の窓から
遠い空に向かって
傷ついた翼を精一杯羽ばたいて
あなたの生きてきた時間は
長かったですか
あっという間でしたか
僕があげた心の切れ端は
今も持っていますか
さようならありがとう
あの空の彼方で
まだしばらくは僕を見ていてください
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ひさしぶりにローカル線にのって [旅]

何が楽しくて5時の始発電車に乗っていく。浅草で乗り換えて上野から高崎線へ、うとうとしながら高崎につくとたかべんでお弁当を買って上越線水上行きに乗り換える。高崎でも峠の釜めしは売っているしメジャーはだるま弁当だけど僕は上州舞茸弁当にした。いつもこの電車は18切符の出る頃は混んでいる、今はそうでもない前橋を過ぎて周りの邪魔にならないようにお弁当を食べる。吾妻線と別れて沼田を超えると山が深くなるトンネルがおおくなる。上牧で降りて風呂に入るのもいいけれど今回はとにかく、前進あるのみ。越後湯沢で降りて外湯に入ってへぎ蕎麦を食べてまた電車に乗る。ここでほくほく線で十日町で降りると火焔型土器の資料館があるけれど今回は素通りして目的地のまつだいまで一気に行く。まつだいについたら松之山温泉で今日は泊まります、湯が熱い、山菜にはまだ少し間があったかな。明日はブナの美人林へ行きます。
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風がやさしすぎるから [詩(うた)]

青い空に白い雲が流れる
緑の風が揺れる午後
僕は透明な川に足をつけている
冷たい水銀のような光が揺らめいて
目を閉じて懐かしいあのころの夢を見ている
故郷の川は今でも青いままだろうか
水面を渡る風はやさしいだろうか
遠く離れていても思いだす
美しい日々よ
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青い空に雲が飛ぶ [詩(うた)]

麦畑の上を雲が流れてゆく
雲の影と麦の穂並みの揺らめきが
重なって新しい大地を作ってゆく
思い出は心を抱きしめて
涙を超えて光の彼方へ
こんな柔らかな五月の日差しの下で
遠くに見える青い山波が
ずっと昔僕が子供だった頃と
同じように見ている
この大地の風をいっぱいに吸い込んで
さようなら幼き日々よ
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