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少年が [心象のスケッチ]

朝はまだみんなが眠っている頃
ジーンズと白いシャツに白い帽子
始発電車を待ちながら
少年はまだ見たこともない街へ
初めて会う人のいる街を
言葉だけの面影を心に抱いて飛び乗った
少しの不安と大きな憧れが
手招きしている夏休み
愛とか恋とかそういうものではなく
ただ初めての出会いと初めての街へ
朝日が少年の横顔紅く染めて
夏がくれたものこれからも大事抱えて
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滅びの美学と私の美学 [世捨て人]

桜は散り際が美しい、一方でクチナシや泰山木の散り際が哀しいくらい。日本人の滅びの美学は桜に由来している、と言われる。だけど散りゆくものは美しい、〜そう思うのは日本人だけらしい。刀と侍とハラキリの国は美学にこだわる、私の美学は我慢する事、これはADHDがひどかった頃に徹底的に仕込まれた。とにかく、両親にねだった事はない、物欲は徹底的に排除され、気持ちの悪い子供が形成されてしまった。それが今も引きずって、喜びの表現ができない、嬉しくないのではないのに。正直になる事がいけない事になる、qそれを納得する為に美学と称しているだけ。
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眠れない夜に [詩(うた)]

風もないむし暑い夜
蚊帳を吊って窓を開けていた
蚊取り線香の火が赤く空の群青に対峙していた
僕はたった一人で実家にいた
虫の声しか聞こえない
どこを見ても灯りのない
父も母も母屋に行ったまま
中学生の僕は猫と二人きり
猫に話しかけたら何かフニャフニャ言うだけ
今日は根子岳参りには行かないか
と話しかけたら猫の目が宙を飛んだ
青い光がゆらゆらと飛んで行った
祖父は亡くなったと思った
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夕暮れ逆上がり [思い出]

まだ夏休みが終わっていないのに、学校へ行って誰もいない鉄棒にぶら下がっていた。逆上がりをしたら日暮れの空が見えて黄昏の街に変わった。誰も僕のことが好きじゃない、やっぱり嫌われていると思いながら繰り返していたら涙が出て額を伝って落ちた。時間が過ぎても変わらない、私の悲しみの根元が枯渇する事はない。私は永遠に逆上がりを続けている。
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夏の終列車 [世捨て人]

真夏の夜の夢、では無いが寂しい停車場で最終列車を待ちながら裸電球の下でぼんやりしていた。甲虫がカチッと落ちて逆さまでもがいている。やがて自分で起き上がる事は分かっている、しかし私は彼を摘み上げ空へ投げた。直ぐに羽根を広げて飛んでいく、そう思ったが彼はまた電燈に戻りまたカチッと音を立てて落ちてきた。哀しい性と思いながら、またつかみ上げようとして手を挟まれた。私はこの野郎と踏みつけた、と思ったが再び愚かな甲虫を摘み上げ電燈の柱につかまらせた。そして入ってきた列車に乗り込み、窓の外の電燈の柱を見た。彼はそこから動いていなかった、私は笑いながら所詮は虫だと呟いた。私も所詮は虫ケラだけど。
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遠き山に日は落ちて [思い出]

夏のキャンプの定番ソングだった歌、元はドヴォルザークの新世界交響曲の第三楽章の主旋律。宮沢賢治の銀河鉄道の夜にも効果的に使われている。それにしても、何故か寂しくなる旋律はどうしてだろう。新世界っぽく無い、キャンプではキャンプファイヤーの前に歌うのだが、何故か、確かに日は落ちていく時間なのだが。日本語の歌詞もいざや楽し惑いせん、なのにね、気分が落ちて行く。そうだ、日本語のタイトルは家路だったような、不思議だね、キャンプで家路を歌うなんて。
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乱気流 [世捨て人]

生きていくという事は空を飛ぶ鳥のように晴天順風の時もあれば土砂降りの雨もある。そして、抜けるような青空の下突然の乱気流に会うこともある。準備しても油断なくても狼狽し落下してしまう。だが、死なねばそれでいいじゃないか、生きてさえいれば良い。涙する事も落ち込む事もあたり前として全てを受け入れていけばいいんだ。病を超えて一歩一歩行けばいい、失敗じゃないよこの生き方。
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ちょっとした後悔の話 [思い出]

決して美人ではないしスタイルもよくないし服のセンスもいまいち
でも惹かれるものがある人と
どこから見ても美人でスタイル抜群で服のセンスもいい
なのに興味を惹かれない人がいる
自分だけかと思ったけれど世の中こっちの方が多いみたい
何故だろう何故かなどうしてかな
全部そろっているとその時点で終わっている
自分はどれをとっても並み以下と分かっているから
先に自分はないなと思ってしまう
結果的にはその通りが多いんだけど
時々公式にあてはまらないことがある
たいていそういうう時は後の祭りと言う
そう言う時のちょっとした後悔が響くんだよな
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戦いが終わった日 [思い出]

私は戦争は知らない、だが私の父は戦争に行っていた。陸軍の下士官、砲兵だった。いた場所は台湾、台湾はそれほど大きな戦闘もなく、引き上げの時も中国大陸より状況は良かった。引き揚げてからも実家が大きな農家だったので、農地改革があるまでは食料に事欠くことはなかったと聞いた。台湾時代は高射砲陣地にいて米軍の空襲に応戦したようだ。だが、爆撃機は高度が高く届かなかった、戦闘機は小さすぎてなかなか当たらなかったらしい。終わりごろになると装甲列車で台北から高雄まで護衛を兼ねて乗っていたらしい。米軍の機銃掃射に何度かあったがかすり傷で幸い済んだらしい。あの時父がいたのが沖縄だったら私はいまいないだろう。また、米軍が台湾に先に侵攻しても同じだったかもしれない。父は玉音放送を台湾総督府で聞いたらしい、聞きづらくてよくわからなかったが、戦争が終わったと言うことだけわかったようだ。呆然としながらも体から力が抜けへたり込んでしまったそうだ。同郷で招集された知り合いは南太平洋やフィリピンで戦死していたことを引き上げてから聞いたそうだ。爺さんから聞いたシベリア出兵の話のほうが酷く感じたのは寒さと飢えのせいかもしれない。
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発達障害の歌 [詩(うた)]

落ち着かない心抑えられず
教室の中をうろついて
勝手に問題の答えを黒板に書いた
宿題はしていないか家に忘れるか
寄り道して學校へつかなかったり
根気がない協調心がない身勝手だと
通知表に毎年書かれていた
自分ではわからない
どうして先生に嫌われるんだろう
叩かれて罵声を浴びせられ
それでも学校へは通ってた

多動性障害なんて言葉を知ったのは
それから20年以上後のこと
でもあの時そんな言葉を知っていたら
きっと病気に甘えていただろう
僕は心が弱いすぐ逃げるから
理由されあれば逃げたいと思っていた
でも少しずつ大人になって
心の置き方を覚えた
今ではあまり人に気づかれない
ここまでなんとかやってきました
これからもずっとそうありたいものです

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