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思い出一つ残さぬように [心象のスケッチ]

その人はいつも少し寂しげな顔をして僕のことを見つめてくれた
僕はその目を見られずに少し伏し目がちに話をした
本当は話を聞くためだったのに
僕は自分の話ばかりをしてしまったね
ありえないことと思いながらその人の唇が
僕のことを好きだと動きそうで怖かった
本当は自分から言いたかったこの想い
結局なにも起こせずに終わってしまった
この恋は終わりだと自分に嘘をついて
何も言わずにあなたのもとを去った
思い出一つ残さぬように

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5月の風が好き [心象のスケッチ]

5月の風は心地いいな
そりゃそうだ春はなんだかほわほわだし
ちょっと汗ばむくらいの時に吹く風は
最高に決まっている
麦畑を超えて翠の息吹が詰まってるし
藤の花の香りだって混じっていたりする
海だって川だって水面がキラキラだ
僕は沈下橋のへりに座って草笛を吹いている
5月はいいな風も野山だって畑だって
水だって陽の光だってみんなが青春なんだ

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アジサイに目を奪われて [心象のスケッチ]

この季節一段と鮮やかかなのはアジサイの花、本当は花じゃなくてガクだと言うことは知ってい折る。で、P。どこの公園に行こうが山に登ろうが川に行こうが、ほぼ間違いなくアジサイがある。あの色は土壌のphで決まるらしい。リトマス試験紙と同じようなもの、濃い青、水色、橙色、赤色、そういえば滲んだような色や府が入ったようなものもある。現在の栽培種のアジサイは日本原産のガクアジサイから改良されたと考えられる。それ以外にもヤマアジサイやタマアジサイなど普通にみられる。一般的にアジサイの葉には毒がある、けれども灌仏会の甘茶もヤマアジサイの葉を干して使っていた。シーボルトが持ち帰ったのも有名だ。
雨宿り路地の空き家の庭先にアジサイが咲く花束のごと
七色に雨振り払いアジサイは帰らぬ人をただ待ち続け
幾年を経て荒れ庭の姫君は移ろう色のアジサイの君
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梅雨入りと青梅 [心象のスケッチ]

梅雨入りの頃、雨に降りこめられてずっと家にいると、無性に歩きたくなる。でも、川は増水しているし足元はぐちゃぐちゃだ。でも、楽しみが待っている、この時期は遅いの野イチゴやグミの赤い実の酸っぱさやモミジイチゴの甘さが雨に打たれて待っている。また、この時期は青梅が少し赤らんだ実を早く摘んで―とばかりにこっちを読んでいるこいつを砂糖と焼酎につけるか、いったん塩漬けして梅干しにする、塩漬けにしたものを酒カスでつけて梅の粕漬もいいですね。今年は漬物つけようかな。
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マナー [心象のスケッチ]

私は男、妻がいる。私が守る決め事、誰のお陰で飯が食えてるんだ、とは絶対言わない。どんなに一生懸命に頑張っても私がこんなに頑張っているのに、と言わない。これを言ったら私の全てが終わる気がする。仕事でも私に対してのありがとうはいらない、みんな誰かがやってくれたこと。そう思っている、こうやって生きていることだけそれだけ。
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普通が普通であること [心象のスケッチ]

神戸の震災の復旧で翌日に入った時も思った。東日本大震災にあった時も思った。そしてコロナウィルスで社会がストップ、そのときいろんなところでいろんなことが起きる。普通がいかに大事なことかを思い知らせれる。自分が知らないうちに鉄道が動きトラックが走り店には品物が溢れ通りは人でいっぱいになる。子供たちの声が溢れ恋人たちが寄り添い、老人は光を浴びている。私はいい時代に生きているんだ、そう思えるのは違う時を知っているから。異常が普通になるそんな時はもういらない。
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雨の季節に差し掛かる [心象のスケッチ]

雨の日が好きだと言う人は少ないだろう。だけど、雨上がりのあの透明感が好きな人は多いのではないだろうか。雲間から光がさしてさっきまで下を向いていた花がぐんと背伸びをする。遠くの山もくっきりと見えて雲のかけらがだんだん消えて行く。雨だれが作った水溜りに青い空と桜の葉っぱが光っている。台地の上の一本道は遠く遠く伸びている。稲だって陸稲だって麦だってからいもだってみんな水を吸ってお日様を浴びて大きくなるぞと叫んでる。僕は丘の上からにこにこしながら見ている。雨よ恵をもたらせと翠をもっと濃くなれと。
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岩手山 [心象のスケッチ]

宮沢賢治は岩手山を愛して学生時代から何度も登っている。東岩手火山とい詩もある、長い詩なので全部覚えているわけではないが、なんだか中学生の集団登山のような、その中で賢治の感覚的視覚があふれ出していたような、そんな詩だったと思う。そして岩手山のふもとには小岩井農場があってここも賢治が良く来ていたらしい。10年くらい前まで良くGWや秋に訪れた。ただの、広い草原を牛がのんびり草をはみ牛乳工場やちょっとしたレストランがあるだけで(アトラクションぽいものもあるが)、ただ、草原に寝転がって流れる雲の行方を追うだけの時間。それだけで十分だった、牛乳工場の裏手の雑木林を歩いてみたり岩手山と面と向かってみたり、それが良かった。またいつか行きたい、モリーオとイーハトブヘ。
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何処かへ行けるという事 [心象のスケッチ]

いつも何とも思わずに東へ西へ北へ南へ遊び回ってる。だけど、仕事辞めたらそんな余裕はない、おそらく収入は半減する。時間だけはあるから旅よりもっと安価な趣味を持たなければならない。今のヒスイも古墳群も旅費がかかる、陶芸をやりたいがこれも結構かかる。コロナで閉じ込められた時はお金を使えなかった、自由になってもお金がない。原点回帰の貧乏旅というのもあるか、夜行バスを使って、でも流石にこの歳で野宿は辛いけど。
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誇り低き私 [心象のスケッチ]

ナショナリズムとは聞いているほうには気持ちがいい、ヒトラーのアーリア至上主義のような馬鹿げた理屈に驚喜した。遺伝子の多様性はあるものの人種は亜種のレベル以下であり優位性などあるわけがない。それでも、愛国心とか優越感とかに心を奪われる人は実は結構多いのではないか。心のある程度練れている人、世界を知っている人はその心地よい響きに惑わされないが、そうでなければ心酔ってしまうだろう。ポピュリズムも同様な傾向があって自分だけ良ければよいことを認容すると他人にはよくないことだと気づかないまたは目を背ける。この手の政治思想は麻薬みたいなものでどんどん深入りして気が付くと全体が破綻してしまっている。私は誇り低いからナショナリズムもポピュリズムも心が動かされない。
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